ただ、10年代に入ってから、北朝鮮の囲碁AIの存在感は次第に姿を潜めはじめる。韓国・産業銀行KDB未来研究所や各メディアの分析では、「最新のAI技術を支える大規模なハードウェアが不足している」というのがその理由となっている。
ディープラーニングなど最新のAI技術を使いこなすためには、膨大かつ良質なデータと、質の高い演算処理装置が必要になる。しかし北朝鮮では経済制裁や資金不足により、特に後者をそろえる方法がないというのが韓国における大枠の見立てだ。
例えば、韓国・産業銀行KDB未来研究所が発行した資料によると、ウンビョルの最新バージョン「ウンビョル2010」のCPU数は16個。対して韓国イ・セドル9段を下した「アルファ碁」には、1920個のCPUおよび280個のGPU(グラフィックス・プロセッシング・ユニット)が採用されていたという。
ただ韓国における分析がすべて正しいとも言い切れないし、実際には多くのことがベールに包まれたままだ。何かしらの理由で、北朝鮮が囲碁AIの開発に注力しなくなっただけとも考えられる。北朝鮮には、「一度やると決めたら成果を出すまで徹底的にやる」というお国柄がある。ウンビョルやミサイル、潜水艦など、その前例を挙げていけば枚挙にいとまがない。いずれまた98年のように、突如として他のAI分野で世界に打って出てくることも、じゅうぶんにあり得る話だ。
すべてのトップ・金正恩の出した「指令」
北朝鮮の情報通信分野を専門に担当する省庁は「逓信省」と「電子工業省」となっている。逓信省は電気通信、メール通信、放送通信業務を遂行する。「朝鮮逓信会社」、「平壌国際通信センター」、「逓信電話局」、「TV放送指導局」、「情報通信研究所」などの傘下機構に加え、各地域の郵便局および逓信所も管轄している。
一方、電子工業省は情報技術を担当しており、管轄には電子製品開発および半導体の生産を担当する「平壌集積回路工場」と、科学院傘下の「プログラム総合研究所」、「コンピューターサイエンス研究所」などがある。なお、科学院とは科学技術の開発研究を総括する機関のことだ。IT研究開発を担当する機関としては「朝鮮コンピューターセンター」、「平壌情報センター」、「中央科学技術通報社」、「平壌プログラム塾」などがある。労働党、国家安全保衛省などは、電波管理、国際電話、ファックスなどIT部門に関与している。これは社会全般に対する不法・違法行為の防止、国家安全保障などとの関係による分け方だ。
当然、ここで挙げたすべての組織のトップは金正恩氏である。北朝鮮の指導者が世界の動向をどう捉えているかで、今後の国内の情報通信産業のあり方も変わってくるだろう。すでに16年以前に、金正恩氏が国内各機関に対して「情報通信技術を最先端水準に発展させろ」と指令を出していたことも明らかにされている。そして16年1月31日には、金日成総合大学の研究陣が、史上最強の暗号技術と呼び声高い「量子暗号」の開発に初めて成功したと労働新聞が報じた。
北朝鮮における情報通信分野の技術発展は、潜水艦やミサイルと同様に、日本を含む諸外国との軍事・外交的なバランスを変える力を秘めている。今後、どのような“イノベーション”が起きていくのか。情報は限られているものの、見逃せないイシューとなりそうだ。
「ロボティア」編集長。1983年、北海道生まれ。株式会社ロボティア代表取締役。テクノロジー専門ウェブメディア「ロボティア」(roboteer-tokyo.com)を運営。著書に『AI・ロボット開発、これが日本の勝利の法則』(扶桑社新書)、『ドローンの衝撃』(扶桑社新書)、『ヤバいLINE 日本人が知らない不都合な真実』(光文社)。訳書に『ロッテ 際限なき成長の秘密』(実業之日本社)、『韓国人の癇癪 日本人の微笑み』(小学館)など。