その98年に開かれた最高人民会議第10期第1回会議では、「科学技術発展5カ年計画」が採択・提示されている。それに従って、学校におけるコンピューター教育が一般化。99年末には、北朝鮮のトップのエリート校・金日成総合大学にコンピューター科学大学が新設され、金日成総合大学と双頭を成す名門校・金策工業総合大学にも、情報科学技術大学、機械科学技術大学が設置されている。時を待たずして、その他の主要大学にもプログラム学科が続々と登場しはじめた。

北朝鮮は1999年を「科学の年」とし、思想と銃(軍事力)、科学技術を「強盛大国」(北朝鮮の政治目標)建設の3大柱に据えた。そして同年11月には、情報通信部門を担当する担当省庁・電子工業省を新設した。

国策として科学技術分野にテコ入れ

00年代に入ると、北朝鮮のIT産業への注力がより鮮明になる。03年6月には、最高人民会議常任委員会の政令で「コンピューターソフトウェア保護法」が、翌04年6月には「ソフトウェア産業法」がそれぞれ制定された。IT産業を発展させる戦略を、法律として具体化したものだ。それらの関連法案では、「中央政府のソフトウェア産業指導機関が科学技術関係各省庁や教育指導機関と連携し、計画的に専門家を排出すべし」と規定された。その後、06年4月には最高人民会議第11期4次会議で「科学技術大国」という長期的ビジョンが掲げられている。これは22年を目標年度とする、科学技術分野の段階的発展計画をまとめたものだ。

こうして見ると、囲碁AI・ウンビョルが活躍した時期と、北朝鮮政府が情報通信産業に力を入れ始めた時期が重なることが分かる。「党の積極的な支援」という文脈と重ね合わせると、国策による“テコ入れ”という追い風を受けてウンビョルが世界を席巻したと想像することは難くない。ウンビョルの研究・開発は、情報通信産業、またAI大国としての威厳をアピールするためのひとつの手段だったとも考えられる。