能力・熱意があっても、考え方が間違っているとサイアク
▼「考え方」を経営者は学ばなければならない
では、自らの「何を」振り返ればいいのか。それは「考え方」です。
京セラや第二電電(現KDDI)などを創業し、日本航空(JAL)を再建した稲盛和夫さんは、「成功の方程式」として「考え方×能力×熱意」を提唱されています。このことの重要性を、日本のビジネスパーソンは再確認すべきだと思います。
ものごとを成功させるには、それぞれの仕事ごとの「能力」が求められます。経営者や経営者を目指す人が「貸借対照表って何?」と言っていたのでは企業のかじ取りはできません。会計知識のみならず自社の業務内容も十分に理解していなければならないのは当然です。ただ、「能力」だけで終わってはいけません。「熱意(エネルギー)」も必要なことは言うまでもありません。
さらに稲盛さんが重視しているのは、「考え方」です。「能力」と「熱意」は0点から100点まである。一方「考え方」はマイナス100からプラス100点まであるとおっしゃっています。つまり、どんなに「能力」や「熱意」があっても、「考え方」がマイナスなら、それらを「成功の方程式」として掛け合わせた結果、大きなマイナス点になってしまうということなのです。
▼なぜ不祥事を起こす企業は「目標」が「目的」化するか
この「考え方」のプラス・マイナスを測る尺度のひとつに「目的と目標の違いを理解しているかどうか」があります。不祥事を起こす企業は、経営陣や社員が「目的」と「目標」を取り違えていることが多いのです。
「目的」というのは何のためにその会社が存在するかという「存在意義」です。
「目標」はその通過点や達成具合です。
その違いをきちんと把握していれば、このような不祥事は起こらないはずだと私は考えています。たとえば、どの会社にも共通してある「存在意義」の筆頭は「良い商品やサービスを提供し、社会に貢献すること」ではないでしょうか。これは取って付けた見せかけのスローガンではなく、実際これなしには会社というものは成り立たないのです。ピーター・ドラッカーは「独自の商品やサービスを提供する」と言っていますが、これも「社会に貢献する」意識がベースにあります。
企業の「存在意義」は、もうひとつあります。
それは「働く人を活かし幸せにすること」だと私は考えています。社会は、人を幸せにするために存在しており、その社会の一員である企業も、当然のことながら、そこで働く人たちの物心両面での幸せを提供することが存在意義であるはずです。そして、多くの企業では、この内容を自社の言葉で、ミッションやビジョン、理念として掲げています。
一方、売上高や利益は、その「目的=存在意義」の達成度合いを表す尺度であり、これが「目標」となります。結果的に不祥事を起こす会社は、その目標が目的化してしまっているのです。とにかく、数字を上げることだけが至上命令となり、そのためには手段を選ばなくなります。東芝の不正会計の本質も同じです。
大企業だけでなく多くの中小企業では、ミッションやビジョン、理念を掲げていますが、それらが「建前」となっていて形骸化している企業は、私が見ている限りでは業績も芳しくありません。その建前を本音で成し遂げようとしている企業が、やはり強いのです。