知事・市長は教育現場に口出しできない!

まずは知事、市長の苦悩。今の教育委員会制度においては、知事、市長は、教育現場における個別具体的な教育的指導については口出し・介入はできない。僕がちょっと教育に口を挟めば、教育の政治的中立性を害する! と批判されまくった例のやつだよ。

頭髪指導なんて超具体的な教育的指導であって知事、市長は原則こんなことに口出し・介入はできない。僕は散々大騒ぎしながら、大阪において教育基本条例を制定した。この条例によって知事、市長は教育の大きな方針については一定関与することができるようになった。

この大阪の教育基本条例であっても、知事、市長は教育委員を任命して、教育の大きな方向性や一般的な制度設計に関与して、予算を付けるところまでが仕事。実際の教育現場における個別具体的な教育的指導には口出し・介入することはできない。

(略)

こんな教育委員会制度の下では、教育現場における髪の色の指導についてまで知事、市長が具体的な指揮命令などできるはずがない。知事、市長が指揮命令権を持っていない以上、個別具体的な報告も上がってこない。知事、市長にとっては是正しようにも何もできないのが現実なんだ。言ってみれば、教育現場における個別具体的な教育的指導については教員、学校、ひいては教育委員の責任で知事、市長には責任はない。

そう言うと今度は、そんな委員を選んだ知事、市長の任命責任はどうなんだ? と必ず指摘される。任命責任って、よく大臣が不祥事を起こしたときに首相の任命責任が問われるけど、その責任とは、本来はダメな人材の首を替えること。国会では首相も辞任せよ! という趣旨でよく使われているけど、あれは間違い。そもそも知事、市長は教育委員に指示はできないのだから、委員の責任をそのまま知事、市長が負わされる理由はない。加えて教育委員を替えるというのは、教育の政治的中立性を守るために、そうは簡単にはできないことになっている。

知事、市長は教育委員を任命するまでが仕事で、その後の教育行政については全ては教育委員会の責任というのが法律の建前なのに、実際、教育委員はお飾り職になって、無責任体質。

ではどこが教育行政をやっているのかと言えば、究極的には責任を負わない教育委員会事務局という官僚機構なんだよね。

ところが、教育現場での不祥事が起きると、すぐに「知事や市長の責任だ!」となる。なんとなく知事や市長が全権限と全責任を持っているような感じがするし、知事や市長を批判するのは分かり易いからね。

このように今の教育員会制度は責任の所在があいまいなんだよ。知事や市長の責任はすぐに問われるのに、権限がない。法律上の責任者である教育委員はお飾り職になっていることが多い。実際に権限を行使している教育委員会事務局は法律上の責任がない。

今回の府立懐風館高校の事件についても、僕も含めて知事の責任を問う声もあるけど、責任を負わされるなら権限も与えてもらわないとダメだよね。知事が権限を持つということは、これすなわち教育への政治介入なんだよ。政治家に教育行政の責任を負わせるなら、政治介入を認めなければならない。反対に教育への政治介入を拒否するなら、政治家に責任を負わせることはできない。(ここまで約2100字、メルマガ本文は約1万6500字です)

(略)

※本稿は、公式メールマガジン《橋下徹の「問題解決の授業」》vol.78(11月7日配信)を一部抜粋し簡略にまとめ直したものです。もっと読みたい方は、メールマガジンで! 今号は《移民・難民問題、髪染め強要問題で考える「きれいごととは異なる現実」》特集です!!

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