「お酒をやめて、爽快な毎日」

「卒酒」という言葉を初めて知ったので、インターネット上で調べてみたが、アルコール依存症の人たちが「卒酒をした」と使う例が多いようだった。年齢が上がったので、「卒酒をした」という使い方はあまり見られなかった。

だが、この数年の傾向なのだが、「お酒をやめて、爽快な毎日を送っています」と書いてある年賀状が、毎年必ず1枚か2枚届くようになった。よく一緒に飲みに行っていた職場の先輩からが多く、「卒酒」なのだろう。

自分から卒酒をしようと決めた人には、その人なりの考えと意志があってのことだ。一方、冒頭の投稿者は父に対し、「酔って転んでもしたら」と説得したようだ。一人暮らしの90歳が転んだら、すごく危険なことはわかる。わかるが、切ないのは、自分が酒飲みだからである。

私は投稿者と同じ56歳。まあ、アルコールは強いほうだ。

ところが50歳を過ぎて、どんどん弱くなっている。飲んで眠くなるって、どこの国の話? ってな感じで生きてきたが、現在は「ここの国ですね」と毎晩、実感している。あ、図らずも「毎晩」と書いてしまったのだが、そう休肝日などめったに作らない。

このままいつまで飲む気か

落語を聞きに行くのが好きなのだが、人情噺の名作「芝浜」も「子別れ」も「お酒を完全に絶った人」が商売繁盛や家内安全を手に入れる話だなあ、と気づいて己の飲酒を多少反省したりするが、その帰り道にビールを飲んでいる。

さあ、私、このままいつまで飲む気かしら? と思うわけだ。

年賀状で「卒酒」を報告してくれる先輩のような意志の強さが己にあるとは思えない。「もう年だから」と卒酒を勧告してくれる子供もいない。

医学の世界では、年齢と共にアルコールが弱くなるのは常識だそうだ。理由は明快。肝臓の機能が加齢によって低下し、アルコールを分解するスピードが落ちること。もう一つ、体内の水分量も加齢によって低下し、血中のアルコール濃度が高くなりやすくなることも弱くなる原因だそうだ。

アルコール依存症の受診者における65歳以上の割合が増えているというデータまであり、これはもちろん人口における65歳以上の割合が増えているということが最大の要因だろうが、それにしても私、65歳までもう10年を切っている。