考え方にはネガティブなマイナスの考え方もありますから、マイナス100点からプラス100点まであります。

たとえば、鹿児島大学を出て就職試験を受けたけれど、どこも採ってくれない。縁故で紹介者がいないと採ってくれないなんて、世の中不公平じゃないか、実力で採ってくれないのか、いくらそう文句を言っても採ってくれない。こんな不公平な世の中、ヤクザにでもなってやろうかと思って、その道へ進もうとさえ考えた。大学時代は空手をやっていたから、いっぱしのヤクザの親分にでもなっていたかもしれない。

まかりまちがえば、社会にとってプラスになるどころか、害悪を及ぼす、つまりマイナスの存在となっていたかもしれないのです。

『活きる力』(稲盛和夫著・プレジデント社刊)

考え方がマイナスであれば、たとえそれが些細なマイナスであっても、積でかかりますから、人生の結果は全部マイナスになってしまいます。

能力も人並み以上、努力も人並み以上でも、世の中を拗ねて盗みをはたらきながら生きていけば、人生はすべてマイナスになってしまう。

考え方というのは、ことほどさように大切であり、心の座標軸にどういう考え方をすえるのかによって、人生はガラッと変わってくるのです。

 

どんな思想を持とうと結果は自己責任

このような話を私が京セラで話すと、大学を出た優秀な社員などは、ただ働けばいいはずなのに、なぜ考え方まで強制されなければならないのか、いろんな思想があったっていいではないか、と反発をします。

確かに、いろんな思想を持つのは自由です。そのかわり、どんな思想を持とうと、その結末は自分自身で摘み取らなければなりません。だからこそ、人生の先輩として、こういう考え方を持つべきだと私は説くのです。

昔、こんなこともありました。女性用の下着をつくっている、ワコールという会社がありますね。

あのワコールは、すでに亡くなられました塚本幸一さんという方が創業されました。私より12歳、ちょうど一回り年が上でしたが、年の若い私を尊敬していると言ってくださいました。たいへん仲良くしていただき、仕事が終わると、よく祇園に行って酒を飲んだりしたものでした。

あるとき、若い経営者連中と一杯飲みながら、経営について、また哲学について議論していたときに、一人の若い経営者が「稲盛さん、私はそうは思いません。うちの会社ではこういう考え方をしています」と言い出しました。