イギリスの職場は基本的に多国籍
ロンドンに住んで29年半になるが、英語を母国語とする国は世界中から人材を獲得できるんだなあと感心させられることがよくある。同時に、英語を社内公用語にする日本企業が目指しているのは、こういうことなのだろうなあと感じる。
特に目立つのが医療の分野である。私が会ったことのあるロンドンの有名病院プリンセス・グレース・ホスピタルの胸部外科医長はシリア人で、シリアの大学入学試験で史上初の満点を取って、ハーフェズ・アサド前大統領から表彰され、奨学金を得て英国で医学を修めた人だった。また手の指のイボの治療をしてくれた皮膚科の医者はギリシャ人だった。近所のNHS(国営医療サービス)のクリニックの医師は、半分以上がインド人とユダヤ人である(ただし、イギリス生まれの人も多い)。
医師以上に多国籍化が進んでいるのが看護師である。いい病院が集まっているロンドンのハーレー・ストリートの治療の現場に何度か行ったが、イギリス人の看護師はほとんどいなかった。いるのはフィリピン人、ハンガリー人、ブラジル人、アラブ人など世界中からやって来た看護師たちで、日本人や米国人もいた。日本ではありえない光景を目の当たりにして、イギリスの医療の現場はこんなふうになっているのかと驚くとともに、英語を母国語とする国の強みを思い知らされた。調べてみると、イギリスでは看護師不足に対応するため、外国で看護師の資格を取得した人は登録すれば仕事をすることができ、また大学の看護学部の授業料は外国人でも免除されるという。
医療に限らず、イギリスの職場は基本的に多国籍である。中でも最近面白いのは、コールセンター業務である。先日、自宅の電話の具合が悪くなったので、ブリティッシュ・テレコム(BT)社に連絡すると、インドのコルカタにあるコールセンターにつながった。このときは電話ではなく、インターネットのチャットだったが、すぐにインド人とおぼしい名前の職員から返事が来て、やり取りをした。
「ところであなたはどこにいるの?」
BTはエンジニアもインドにいて、ロンドンの電話回線の不具合(その時はどうやら回線のソフトウェアのセットアップが悪かったらしい)も彼らが直す。作業をした直後にインドからロンドンのわが家に電話がかかってきて「今、直したから、電話を試してみてくれ」と連絡が入った。そのときは1度で直らず、また数日間インド人相手に不具合の状況を説明し、早く直してくれるよう頼まなくてはならなかったが。
大手銀行のHSBCも英国中部のリーズやスコットランドの他、インドにもコールセンターやインターネットバンキング業務の職員を置いていて、用件によってはインド人が出てくる。
その他、ホテルの予約サイトの会社に連絡するとルーマニアにつながったり、航空会社に連絡するとエストニアにつながったり、世界的ホテルチェーンに連絡するとフィリピンにつながったりする。かけるのはイギリスのフリーダイヤルだが、出てくる相手は明らかにイギリス人とは違う英語を話すので、いつも興味を引かれて「ところであなたはどこにいるの?」と聞いている(聞けば皆教えてくれる)。
なるほどイギリスの会社はこんなふうに安くていい人材を獲得し、業務を海外に移しているのかと感心させられる。英語で教育をする学校が多いインドや小学校1年生から英語を習うフィリピンであれば、英語に堪能な人材は豊富である。ただし英語で教育が行われていても、ケニアやジンバブエやジャマイカにコールセンターや業務を移管した企業の話は聞かない。たぶん通信インフラがよくないのと、アフリカ系ののんびりした文化は、外国人相手の仕事には向いていないのだろう。なお日本企業にもコールセンターを中国やタイに置いたりしている会社があるが、規模的に英国企業には遠く及ばない。