映画でも『三国志』における「赤壁の戦い」を映像化した『レッドクリフ』二部作(08、09)という作品がありました。前後編合わせて100億円以上の大ヒット作です。

「知っておかないと恥ずかしい教養」か?

『三国志』は男性にファンが多く、文化教養の側面のあるコンテンツです。「ちょっとかじっただけなので、ちゃんと知りたい」「周囲に三国志好きが結構いて、仲間内でよく熱弁してるけど、話に入れないのが悔しい」「昔読んだけど忘れちゃったので、この機会に復習したい」という人にとっては、うってつけの「学び直しコンテンツ」でした。

(C)2017「関ヶ原」製作委員会

ベストセラー小説や国民的人気コミックの映画化が一定の集客を得るのも、近い理由でしょう。教養として、あるいは現代人の「嗜(たしな)み」として、ヒット作を知らないことに、どこか気後れしている人は少なくありません。そんな後ろめたさが映画1本で解消できるなら……という期待があるのでしょう。

しかし、多くの日本人にとって『ワンダーウーマン』は、「さわりだけでも知っていた」存在でもなければ、「知っておかないと恥ずかしい教養」でもなければ、「現代人の嗜み」でもありませんでした。

公平を期すべく慎重に申し上げるなら、『ワンダーウーマン』は実に間口の広いエンタテイメント超大作です。肉体を駆使したアクションは爽快で、VFXも豪華。ストーリーは明快。画面はリッチで華やか。アメコミファンや映画好き以外の人が観ても、おおむね楽しめるでしょう。しかし、日本ではそれが判定される土俵に、中途半端にしか立たせてもらえませんでした。

「空気を読む」というキーワード

それにしても、なぜそこまで知名度が大事なのでしょうか。その理由のひとつが、「世間」を重んじ「恥」を徹底的に回避したがる、日本人特有の国民性です。これは年長者ばかりでなく若年層の間でも「空気を読む」というキーワードで浸透している、全世代共通のパーソナリティです。

「世間」が好むコンテンツを自分も「嗜んで」おくことが、すなわち多くの日本人にとっての社会性です。職場や学校、友達同士のコミュニティ内で「流行って」いるものを、とりあえず自分も嗜んでおかないと、その輪に入れない。皆が知っていること、体験したことを自分もしていないと、恥をかく。集団と共感できない。疎外される(気がする)。日本人はそういう無言の同調圧力と常に戦っています。

そんなことはないと反論する方もいらっしゃるでしょう。「趣味趣向の決定にまで周囲の顔色をうかがうなんて、信じられない。自分はそんなふうに生きていない」と。でも、世の中の驚くほど多くの場所で、「世間が話題にしているから、観ておかなきゃ」という発想で映画が選ばれています。つまり反論するあなたは「未知のものにカネと時間を使う人」と同様、少数派のエリートです。そして少数派の消費行動だけで興収50億円は達成できません。これが日本の現実です。