「中間的安全保障」としての集団的自衛権
日本人は国際法になじむ機会が少なく、「集団的自衛権」についてもひどく誤解している。集団的自衛権が正当な国際法規範の一部であり、制度的な国際安全保障体制の一部となっていることを理解するためには、安全保障理事会を軸とした国連の仕組みに依拠する普遍性の高い集団安全保障と、個々の国家が単独で行う個別的自衛権の間に、国際法が「中間的な安全保障」の制度を認めている、ということを知る必要がある。
集団的自衛権は、「地域的/部分的な集団安全保障」と言い換えられる制度的な意味を持っている。世界は広い。あらゆる場所で、常に同じ対応ができる仕組みをつくることは、現実的には著しく困難だ。そこで代替的措置として、地域の事情に応じた安全保障体制を作っておくことを、国際法は認めている。その根拠が51条の集団的自衛権である。
ヨーロッパにおける集団的自衛権の「実績」
憲法学者にとっては邪悪な「異物」かもしれないが、この51条の集団的自衛権を根拠にして創設されたのが、北大西洋条約機構(NATO)とワルシャワ条約機構(WTO)だ。これらはまさに「地域的/部分的な集団安全保障」の制度である。国連安全保障理事会を軸とした集団安全保障が、冷戦の激化でうまく機能しなかったため、代替措置として導入されたのがNATOやWTOである。これらは国連憲章をねじ曲げて作られたのではない。その程度のことは、憲章が最初から想定し、51条で明記していたことだ。
歴史的に言って、これらの制度は成果をあげた。ヨーロッパにおいて、NATOおよびWTOのそれぞれの機構内では同盟国同士の戦争は発生せず、両陣営の諸国の間の戦争もまた発生することはなかった。冷戦期を通じて、戦争は両陣営に制度的に属さない地域においてのみ発生した。結果から見れば、51条が期待したとおり、集団的自衛権は、地域的な集団安全保障としての代替的な秩序維持機能を発揮したのである。