そんな彼女たちに突き付けられたのは、機内通訳への身分変更。客室乗務のシフトからは、はずされることになった。しかもフライトは月1回に減らされ、月収は7万円台。副業で収入を得るが、出身地の福岡県から離れて、マンションの家賃を払いながらの生活は苦しい。

加藤たちは、解雇の撤回と直接雇用を求めて提訴し、業務をこなしながら戦っている。思いは「トルコ航空の正社員になり、結婚してもできるだけ長く飛びたい」ということにつきる。

「道具でもいい。もっと利口な使い方をしてほしい」

「道具でもいい。もっと利口な使い方をしてほしい」

同じように派遣切りにあい、組合の活動に自らのアイデンティティーを見いだしたのが、日産ディーゼル工業のトラック製造ラインに勤務していた荒井健太郎(27歳)だ。彼は、昨年9月に埼玉県内にある上尾工場に勤務しはじめたが、11月に所属する派遣会社から「12月18日付で解雇、3日以内の退寮」を伝えられた。

「本当は今年1月末まで契約期間が残っていたんです。派遣とはいえ、働く者の都合をまったく考えない手段に憤りを覚えました。ただ、新聞やテレビでトヨタなどの非正社員削減を見ていて『ここもそろそろかな』という予感はありましたけれど……」

こうつぶやく荒井は、同じ境遇の仲間と組合を結成。12月には、派遣契約の打ち切りを撤回させようと、工場の入り口でビラを配り、共闘を呼びかけたという。また、派遣労働者の立場をマスコミでも積極的に訴えた。そうした活動のなかで、彼は「自分のことだけでも精一杯という時代なのに、他人のために動けるのはうれしい」と感じるようになる。

荒井の経歴は異色だ。神奈川県内の進学校を卒業後、アルバイトをしながら中型と大型自動車の二種免許を取得する。タクシードライバー時代には、年収700万円を稼いだ。しかし、若いとはいっても3日連続夜間乗務となると体も辛い。しばらく家業を手伝ってから、派遣登録をしていた。

「まさか、自分が派遣で働き、ましてやクビにされるとは思ってもいなかった……」という荒井。実家の支援を得られるので、明日食べるのに困るということはないが、いまは将来のことを考える余裕はない。しばらくは、フリーターで日銭を稼ぎながら、ユニオン活動での学びを通して、復活に懸けたいという。(文中敬称略)

(AP Images=写真)