1979年生まれの宮田が専門学校を卒業する頃は、いわゆる“就職氷河期”に該当する。在学中に電気工事士の資格を取り損なった彼は、何とか空調設備の会社から内定を貰うが、入社間際に交通事故でケガを負い、せっかくの就職を棒に振ってしまう。
「運が悪かったといえばそれまでですが、ハローワークに行っても定職が見つからず、資格取得への再チャレンジも諦めてしまって、派遣会社に登録しました。そのときは『あぁ、俺も負け組になっちゃったな』と思ってしまいましたね」
光学機器事業所に請負で行かされたのは06年5月のこと。3日間、昼に12時間働いて、3日休み、また3日間、夜に12時間仕事に就いて、3日休むという変則勤務で、月収は22万円だったが、製造現場ではキヤノンの社員が命令をする。後に社会問題化する“偽装請負”だったのである。宮田もこの告発に加わった。
07年に栃木労働局が偽装請負と認定したことから、宮田たちは期間社員として直接雇用となった。だがそれ以来、職場でいじめを受けるようになる。誰でもするような失敗でも「何やってんだ!」と頭を小突かれたり、始末書を書かされたりもしたという。
車が好きで、キヤノンでの報酬を当て込んで、憧れだった外車を買った。身の程知らずと責めるのはたやすい。が、そんな唯一の生きがいすら奪いかねないのが雇い止めだ。仕事のないいま、その維持費と70万円も残るローンが、彼に重くのしかかる。
「失業保険ももうすぐ切れるので、将来を考えると不安です。いまは付き合っている人はいませんが、このままでは結婚なんて無理でしょう。まして、子供を育てるなんて考えられません。実際、仲間の1人は、相手の親から『あなたは正社員じゃないしね……』と、遠回しに交際を否定されたそうです」
ところで、突然の仕事打ち切りは何も製造業で働く男性だけではない。航空業界の女性たちにもおよんでいる。トルコ航空の客室乗務員13人が今年1月に、契約先の派遣会社から2月末での解雇予告通告をされた。
彼女たちは、成田や関西国際空港とイスタンブールを結ぶ路線で勤務してきた。いつの時代でも、女性には憧れのキャビンアテンダント。派遣での採用とはいえ、わずか5人の採用枠に応募者300人という狭き門だったという。
そのうちの1人、加藤紀子(仮名・34歳)は「7年前に派遣会社と契約し、1カ月に3~4回のフライトを担当してきました。でも派遣ですから、1回の手当は6万数千円。しかも、何回乗務できるかは、その月の10日前にならないとわかりません。足りない収入は、副業で補いつつも、いつも不安でしたね」と振り返る。それでも、この仕事を続けてこられたのは、やはり大空での接客に誇りと喜びを抱いていたからだ。
とはいえ、この待遇は納得しがたい。社会保険への加入やトルコ人スタッフとの同一賃金を求め、何度か折衝を試みる。