「アイツは嫌な奴だった」なんて…

家族や親類縁者、仕事関係で近しくしていた人は、亡くなった人のことをどんなふうに話すのだろうか。悲しんでくれるのか、それとも案外ケロッとしていて、その人のことをじきに忘れてしまうものなのか。もし、自分がいなくなった途端に「アイツは嫌な奴だった」なんて陰口を叩かれるようでは、死んでも死にきれない──。

これについて緩和医療医の大津秀一氏、ビハーラ僧の三浦紀夫氏、ホスピス医の小澤竹俊氏に尋ねると、「亡くなった方を悪く言う人はあまりいない」と口を揃えて言うからひとまず安心してよさそうだ。では、残された人たちは具体的にどんなことを言うのか。

大津氏の病院で亡くなった方の遺族は「夫以上の男性はいません」「素晴らしい母でした」「つらい闘病生活でしたが、最期まで投げずに頑張ったと思います」など、故人がどれほど大切な人だったかを改めて噛み締め、病気で苦しんだであろう最期の日々をねぎらうことが多いという。

亡くなると一転、いい思い出ばかりに

三浦氏の経験でも、残された最期の時間を在宅で一緒に過ごしたり、病院や施設にいても見舞いに来るような関係性がある場合は、たとえ生前、あるいは看病で苦労させられた家族でも、そうそう悪口は言わないものらしい。

肝臓がんで61歳の夫を亡くした杉山良子さん(仮名)は、見舞いに来るたび、「この人には泣かされっぱなし。最後の最後まで、こんなに苦労をさせられて」と憎まれ口を叩いていたという。だが、いざご主人が亡くなると一転、いい思い出ばかりを語るようになった。

「料理上手で私にもよくつくってくれたんですよ。そういうところが好きでね」とのろけ話まで出てくる始末。

「苦労させられたというのは本音としても、夫が亡くなっていく過程をお世話するのはつらいはず。憎まれ口は複雑な気持ちの表れでしょう」(三浦氏)

また、生前好きだったモノを通して故人を偲ぶ人も多い。「コーヒーが好きで、毎朝飲んでいたんですよ」。70代の父親を亡くした40代の女性は、三浦氏にそう語ったそうだ。毎日朝晩2回、仏壇にコーヒーを供え、自身も一緒に淹れたコーヒーを飲む。「こうしていると、父がまだ生きている気がするんです」。その姿は、亡くなったことをゆっくりと受け入れているようだった。