衰退するのは惜しい! 名作ニュータウン探訪

そもそも戦後開発された郊外には、見事な住宅地も少なくない。これらの住宅地が高齢化して衰退し、ただ一世代だけのすみかとして終わるというのはいかにももったいない話である。そうした事例を3つだけ紹介する。

【1】椿峰ニュータウン(埼玉県所沢市)

私が郊外の再生について考え始めたのは2010年のことである。郊外出身の建築家・藤村龍至さんと郊外について対談をすることになり、対談に先だって、彼の出身地である埼玉県所沢市のニュータウンを訪問した。そして驚いたのだ。ものすごく豊かな緑、それも人工的ではなく、もともとあった植生を生かし(実際トトロの森とつながっている)、その緑陰に隠れるかのように住宅が配置されていた。住宅の種類も戸建て、タウンハウス、テラスハウス、マンションと多様で、単調さがない。これまで見てきた郊外住宅地の中でもベストと言ってよい素晴らしさだった。

椿峰ニュータウン(本書より)

どうしてこんなに素晴らしいのか。私は椿峰の歴史を調べた。するとそこは山口氏という武士が支配しており、まさに椿峰ニュータウンのあたりには、16世紀末まで中世の山城があったのだ。さらに古代においては、武蔵国の国府である府中からまっすぐに北上する古代東山道の駅が椿峰あたりにあった。中世には鎌倉街道の駅もあった。

ところが山口氏は、1383年に足利氏に敗れ、それから上杉・後北条氏に仕えた。そして後北条氏が1590年に豊臣秀吉に滅ぼされると山口城は廃城となる。言ってみれば空き家になったのだ。椿峰ニュータウンができるまで、存在がほぼ消えたのである。

だが椿峰ニュータウンの開発に当たっては、この歴史ある緑豊かな景観がうまく生かされた。なんでもかんでも木を伐採して、土地を平らにするニュータウンとは異なる、風情のある住宅地がここに生まれた。

ただし、後期高齢者が増えるこれからの時代には、起伏の多い地形が負担になる危険もある。新しい交通手段が必要になるだろう。

【2】鳩山ニュータウン(埼玉県比企郡鳩山町)

鳩山ニュータウンに初めて行ったのは2012年の春だ。『東京は郊外から消えていく!』(光文社新書、2012年)の取材としてだ。鳩山ニュータウンについてはかねてから関心があった。赤坂憲雄の『排除の現象学』(洋泉社、1986年)という本を1980年代に読んでおり、そのため、とても排他性の強い街という悪い印象を持っていたので、いったいどんなところかとずっと思っていのだ。

だが、実際に行ってみると、まったく違った。素晴らしいニュータウンなのだ。田園都市の研究を踏まえて設計されていることは明らかだった。その後、鳩山ニュータウンの開発関係者に聞いたところでは、米国の郊外住宅地を相当研究したそうだ。

鳩山ニュータウン(本書より)

タウンセンターから下っていく街路には、街路樹があり、かわいいデザインのタウンハウスが建ち並んでいる。そこを下りきると池がある。山の上を切り開いたこのニュータウンは、なだらかで長い斜面上につくられている。山側のほうは里山が残されていて、散歩道が整備されている。1年中、四季折々の自然を楽しみながら散策ができるだろう。

しかし鳩山ニュータウンはあまりにも都心から遠い。そのため若い世代が流出し、ニュータウンの高齢者率はすでに45%もあるという。

なお、80年代における赤坂氏の評価が間違っていたとはかぎらない。その時点では、一流企業勤務の人が多いニュータウンが突然山の中にできたら、宇宙人がコロニーをつくったかのように見えたかもしれない。地元とは異質なものが突如現れるのがニュータウンの特徴だ。それが30年以上って、景観が成熟し、地域全体の中になじんでくると、それはそれでまた、えもいわれぬ田園都市ができあがる。新しい街の評価というのは、だから難しい。