100点満点を求める親はいつも「他人と比べる」
子どもが幼い頃は、「あんよが上手」という声かけで構わないのです。結果主義でいい。子どもにとって、できるようになることを褒めてくれた、またそれ以上に、自分を見てくれたという喜びを感じます。
しかし、この「○○ができるからすごい」をいつまでも続けていると、そういう価値観を無意識に植え付けることになります。できるからすごいのではなく、子どもの頑張り、存在、行為そのものを普段から認める。だからこそ、結果がうまくいったときに「おめでとう」と言えますし、うまくいかなくても「頑張ったね」と言えるのです。
この「できる」「成功する」への親の一方的な価値付けは、わが子が幼い頃から見てとれます。わが子がなかなか歩くようにならなくて、またはしゃべるようにならなくて、不安になる親は多いものです(気持ちは痛いほどわかります。何か問題を抱えているのではないかと、不安になるものです)。逆に、少し早く何かができるわが子に、得意になる親も少なくありません。
ただ気になるのは、両者とも、比較対象が「他人」であることです。その子自身ではないのです。そもそも、それぞれが違っていい存在の人間が、みんな一律に同じように成長していくのはむしろ不自然です。兄弟すらまったく異なる成長曲線を描くものです。にもかかわらず、親は頭でわかっていても、比べてしまうものかもしれません。
大事なのは、わが子の頑張りをどれくらい観察できているかです。動作が遅いなりに頑張るわが子を認めるのは、忍耐がいります。「認」という言葉は、「言」を「忍」ぶことです。親はつい望む結果を子に求めてしまいます。でも、そこで「忍」ぶことができるか。どんな言葉を発するかによって真価が問われるのです。
子どもは、子どもなりにいつでも「頑張って」います。どんな結果でも、認めてあげたいものです。登山は、登る時ではなく、下りる時に事故が起きると言います。だから、良い結果が出た時こそ、取り扱いに注意しましょう。また、望む結果に至らなかった時こそ、成長の糧にしましょう。
過程を大切にするという価値付けは、大人が子どもにしてあげられる最高のプレゼントです。