私が「定年後」について関心を持ってから15年になる。実は47歳の時に会社生活に行き詰まって体調を崩して長期に休職した。
その時に、家でどう過ごしてよいのかが分からなかった。外出はできる状態だったのだが、行ける場所は、書店か図書館、あとはスーパー銭湯などの温浴施設くらいだった。テレビの前から離れず、リモコンのチャンネルを変えることが癖になっていた。
その時は、会社を辞めることも頭に浮かびハローワークに行ったこともある。パソコンの求人画面で検索してみると、50歳前後では魅力ある仕事は多くなかった。一定の収入があるのは、歩合制と思われる営業の仕事が中心だった。
そのほかにも喫茶店の開業支援セミナーや不動産投資セミナー、コンビニの店長になるための説明会に何回か参加もした。しかし何ら特技もない自分は、再就職も独立も簡単でないことを思い知らされた。
休職は「定年後」の予行演習だった
当時は50歳に手が届くころだったので、まだまだ定年後までは考えが及んでいなかった。しかしこのままでは退職後は大変なことになるだろうという予感は十分すぎるくらいあった。
また会社に復帰した後、定年で現役を退いた先輩に話を聞き始めた。数人に会って感じたのは、彼らが思ったよりも元気がなかったことだ。名刺には、○○コンサルタントや自治会の役員などいろいろな役職が書かれていたが、昔のバリバリやっていた姿から見ると背中がやけに淋しい人が多かった。
ある先輩は声をひそめて「楠木君よ、実はこのまま年をとって死んでいくと思うとたまらない気持ちになることがあるんだ」とまで語ってくれた。
これらの体験があって、会社の仕事だけではなく何かをやらなければならないという気持ちが生まれた。そして右往左往、試行錯誤の結果、50歳から著述関係に取り組むことになったのである。今から振り返ると、休職したことは定年後の予行演習だったというのが実感だ。