10万円をもらったら多くの人は喜ぶだろう。しかし富裕層は100万円でも喜べない。なぜ収入の高い人ほど幸福度が鈍くなるのか。

所得が増えるほど小さな楽しみを味わう能力は減るのか?

所得が一定の水準以上になると、幸福度は頭打ちになるのではないか。

前回*は、そんな「飽和点仮説」の説明の中で、プリンストン大学名誉教授ダニエル・カーネマン(行動経済学)の以下の言葉を引用しました(*年収10億 富裕層の結論「“ビンボー”が幸福を呼ぶ」http://president.jp/articles/-/21655)。

「もうそれ以上は幸福感を味わえないという所得の閾値は、物価の高い地域では、年間所得ベースで約7万5000ドルだった(物価の低い地域ではもうすこし少ないだろう)。この閾値を超えると、所得に伴う幸福感の増え方は、平均してゼロになる。所得が多ければ多いほど、好きなところへ旅行に行けるしオペラも見られるなど多くの楽しみを買えるうえ、生活環境も改善できるのはまちがいないのだから、これはじつに驚くべき結果と言える。なぜこうした追加的な快楽は、感情経験を高められないのだろうか。考えられるひとつの解釈は、所得が増えるほど生活の小さな他の楽しみを味わう能力が減ってくるのではないか、ということである」(ダニエル・カーネマン著『ファスト&スロー下』早川書房)

今回は、この中に出てくる、「所得が増えるほど生活の小さな他の楽しみを味わう能力が減ってくる」という部分について考えていきます。

高所得の人とそうではない人で、同じ楽しみを経験しても感じ方が違うのでしょうか? あるいは、資産が多い人とそうでない人では同じ楽しみを経験しても感じ方が違うのでしょうか?

僕は、お金に対する人間の感覚は絶対的なものではなく、すでに保有している資産によって感じ方の変わる相対的なものであると感じています。