失って初めてそのありがたみがわかるものの筆頭が健康だ。若いときから病気知らずだったりすると、自分の健康を過信して「俺はまだまだ若い」と無茶を重ねがち。職場の健康診断で「要注意」と指摘されても、「大したことはないだろう」と高をくくってしまうものだ。

とくに仕事柄接待の機会が多い人は、つい食べすぎ、飲みすぎで生活習慣病を招きやすい。医者から「糖尿病の気があるから定期的に運動をしなさい」などと言われても、多忙にかまけて無視している人もよくいる。その結果、突然心筋梗塞の発作を起こして帰らぬ人となるケースも多い。後になって「あのとき医者の言うことを聞いておけば……」と悔やんでも遅いのだ。

ところで食事には、単なる栄養補給以上の意味がある。身寄りがなく、晩年をビハーラ僧の三浦紀夫氏のもとで過ごしたある男性は、すでに食べ物を受け付ける体ではなかったにもかかわらず、おそらく最期になるであろう誕生日を目前にしたとき「もういっぺん寿司が食べたい」とせがんだという。「家族とお寿司で誕生日を祝った思い出があったのでしょう」(三浦氏)。

食事や嗜好品にまつわる楽しかった思い出が蘇るのも、人生の最期ならでは。もう二度と味わえないからこそ、余計に懐かしく思えるのだ。

死ぬ間際によくある後悔【健康・食べ物編】

●「年のせい」なんて勝手に決めてバカだった
――高齢になれば腰の痛みなんて誰にでもある。そう思って放っておいたらがんだった。

●会社の健診になんでバリウム検査がないんだよ
――自費でバリウム検査をしていれば、胃がんを早期発見できたはず。会社の健診だけに頼って失敗した。

●あのとき医者の言うことを聞いておけばよかった
――定期的な運動を勧められていながら、仕事にかまけて聞く耳を持たなかった。

●ちゃんと体を労っておけば、こんなことにはならなかった
――自分の体を大切にせず、ずいぶん無理や無茶を重ねてしまった。そのツケが回ってきた。

●あんなに好物だったのに、味がしない……
――味がしない……病気で味覚が変わってしまった。好きなものを「おいしく」食べられないのが何よりつらい。

●病室で一人で食べても、味気ないったらありゃしない
――食事の目的は栄養補給だけではない。家族や仲間と食卓を囲むから楽しかったのだ。

●もういっぺん寿司が食べたい
――今回の誕生日がきっと最期になる。祝いに寿司を食べたい。回転寿司でいいから。

●バーボンを一杯ひっかけるのが楽しみでね
――海外赴任して、バリバリ働いていたころに覚えた酒には、甘美な思い出が宿る。

ビハーラ僧 三浦紀夫
真宗大谷派僧侶、ビハーラ21事務局長。1965年生まれ。44歳で得度。高齢者施設を運営するビハーラ21常勤僧侶に。終末期の高齢者に寄り添う。
 
(篠原沙織=撮影)
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