「所属名がやたらと長い」人たち
従来、「窓際族」とは、社内の主要な事業部から外れて肩書だけを与えられた人たちのことを指しました。仕事らしい仕事を与えられない人だけではなく、すぐには売上にはつながらないけれども必要な新規事業の開発や外部連携、市場調査などを行う戦略部門の中間管理職に、厄介払い的に充てられるといった人もいるようです。
しかし本来このようなポジションには、目先の利益にしばられずに柔軟に活動できる、真の優秀な人材が就くべきです。高い能力があって、大きな余裕もある。このような人たちの戦略部門での活躍が、組織の硬直化を避けて企業の長期的な発展を可能にするのだと思いますが、そこに厄介払い的な人事をしてきた日本企業の多くが、衰退の憂き目にあっているのでしょう。
いきいきと日々SNSで情報発信している大手企業のビジネスマンの投稿を見ても、所属している会社の事業やサービスに直接関係するものはあまりありません。それよりも、「こんなイベントに登壇しました」とか「◯◯フォーラムで有意義な議論をしました」といった社外活動の報告が大半を占めています。
そんな人達の会社での所属を見てみると、○○○○○開発○○とか、○○連携○○ユニットとか、やたらと長い名称だったり、カタカナがふんだんに使われた名前の部署だったりします。あくまで肌感覚ですが、SNS社会で活発に情報発信や活動する人たちと、この「所属名がやたらと長いこと」には比例的な関係があるような気がしてなりません。
全てではないと思いますが、このような「名称がやたら長い」場所が、組織の中で「特殊な人材の受け皿」として機能しているというのは事実であり、一部の大企業的文化の中では「窓際」と呼ばれて存在していきているようです。
さて、そんな「窓際」にはどんな人たちが配置されるのでしょうか?
もちろん本当に「仕事ができない人」たちもいるでしょう。しかし、昔から「窓際」が担ってきた機能の一つに、能力は高いが「組織が扱いづらい人」たちの居場所になってきた、という歴史もあるようです。どれだけ高度な採用基準や手法をもって人を採用していっても、組織には、システムになじまず「異常な動き」をするアノマリー的な人が存在してしまいます。しかし、必ずしも能力が低いわけではなく、簡単にクビにするわけにもいきません。
このような人たちが、一定の自由度のあるポジションを与えられながら「別枠」として泳がされておくことによって、組織全体の調和をたもちつつ、時には本当に次の世代につながる何かを革新的にうみだしたりもするのが、アノマリー的人材の価値だと思います。