タタコンサルタンシーサービシズは、インド最大の財閥タタ・グループのIT企業。日本法人の社長として約300人の社員を率いる梶正彦さんは、日本を代表するアルピニストだった。学生時代から登山に明け暮れ、これまでにヒマラヤへ6回も遠征している。
最後のヒマラヤ遠征は1984年のこと。世界3番目の高峰カンチェンジュンガを中心とする山系を10キロにわたり縦走した。故・橋本龍太郎元首相を総隊長に迎えた遠征費用は実に3億円(池谷's EYE【I】)。梶さんは山に登るだけでなく、マネジャーとして遠征隊の組織づくりから資金集めまで取り仕切った。当時、英語を話せるシェルパは少なく、登頂の成否の鍵となる交渉ごとにおいてはネパール語やヒンズー語が飛び交ったという。
「いまの会社では15カ国にわたる多様な人間が働いていて、コミュニケーションが大変なこともありますが、当時のことを考えると、苦にはなりませんね」
ヒマラヤへの遠征には数カ月を要する。梶さんはシティバンクを振り出しに、これまで6つの会社を渡り歩いてきたが、そのうち2度は遠征のための辞職だった。
「記録に挑むことが面白かったんです。ただ、この20年あまりの間に状況がガラリと変わった。資金と装備があればどんな山にも登れるようになりました。そして登山は『プロ』のものになった。仕事をしながら記録に挑戦するような登山に取り組めたのは、私が最後の世代かもしれません」
ここ十数年、登山から離れているのは、「挑戦のない登山」には興味がもてないからだという。
「登山道の整った山に登るつもりはありません。極言すれば、死なない登山には行きません。逆説的ですが、危険性がなければ面白くない。遭難や滑落は怖いですが、それを乗り越えたところに、登山の面白さがあるんです」