中東というのはアレキサンダー大王のマケドニア王国やオスマン・トルコ帝国など、強大な征服者が支配していた時代もあるが、もともとは部族的な集団が緩やかに割拠していた土地柄だ。20世紀に入って中東の砂漠の下に莫大な石油が眠っていることが判明すると、西欧列強が石油利権を求めて植民地支配に乗り出してくる。第1次大戦のどさくさに紛れてイギリスとフランスとロシアは秘密協定(サイクス・ピコ協定)を結び、衰退期にあったオスマン帝国の領土を分割統治することを勝手に決めた。中東の国境線が直線的なのはこの名残だ。大国が適当に引いた人為的な国境線によって民族や部族が分断されたことは、クルド人問題、ヤジディやコプトの異教徒問題など今日まで中東における紛争や悲劇の大きな要因になっている。第2次大戦の前後から中東の多くの国は独立して植民地支配を脱したが、欧米列強が持ち込んだ国民国家の枠組みはそのまま残された。
戦後、戦争で疲弊したヨーロッパ勢に代わって中東への介入を強めたのはアメリカだ。アメリカの中東政策の基本は2つ。サウジアラビアとイスラエルを守ることだ。アメリカがサウジを守る理由は石油権益である。サウジはサウド王家による王族支配の国であり、前近代的なイスラム法に則ってすさまじい人権侵害が行われている。しかし、民主主義を世界に輸出し、中国の人権侵害を声高に非難しておきながら、アメリカは石油権益優先でサウジの人権侵害や著しい男女差別には目をつぶって同盟関係を深めてきた。一方のイスラエルは戦後、パレスチナに押し寄せたユダヤ人によって建国されたユダヤ人国家だ。自分が住んでいた土地に勝手に国境線を引かれて追い出された先住のパレスチナ人、周囲のアラブ諸国がこれに強く反発して、パレスチナ紛争が勃発した。ユダヤ人対アラブ人、ユダヤ教対イスラム教という民族対立、宗教対立を内包したパレスチナ問題は中東における紛争の根源的な火種になっている。
この問題の元をたどれば、イギリスがユダヤ人とアラブ人の両者に国家建設を約束した「二枚舌外交」に起因する。つまり大国が定義した国民国家の枠組みがもたらした対立なのだ。強力なユダヤ・ロビーが政治経済の中枢を牛耳るアメリカにとって、イスラエルを守ることは外交ではなく内政問題である。アメリカやフランスの支援で軍事力を強めたイスラエルは第1次~第3次の中東戦争に勝って、欧米が当初設定した以上に領土を広げてきた。そこにユダヤ人を入植させ国境の守りを固める。まさに国民国家の概念そのものだ。そんな強力な国民国家に正面から戦っても勝てないから、敵対勢力はゲリラ化してテロに走った。その初代チャンピオンがPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長だ。ファタハ(PLO最大の政党)を率いたアラファトの死後、より過激なテロ組織ハマスが活動を増してきた。