自制心だけでは資産形成はできない

人間がこれほどまでに他人との相対的地位を気にかけて、地位を巡る争いをすることは人間の進化の過程と結びついているといわれています。

進化の過程では、自分が強くなくても、相手のほうが相対的に弱ければ、食料、配偶者などを手に入れて自然淘汰の過程で生き残り子孫を残すことができた。そのため、人はより高い地位をどこまでも追求することをプログラムされているというのがその概略です。

相対的地位を巡る争いは、敗者が存在してこそはじめて勝者がいるというゼロサムゲームです。

全員の収入が上がれば、誰の収入も上がらなかったのと同じ効果しかもちません。そうすると人はさらに多くのお金を、地位を巡る争いに費やすようになります。

なぜなら、コーネル大学ジョンソンスクール教授のロバート・フランクによれば収入に大きなばらつきがあるときは、目に見える位置財*が、その人の収入やそれによって測ることのできる能力の記号になるからです(*周囲との比較によって満足を得るが、周囲と同じまたは下回る場合には意味を成さないもの。車、家、子供の教育など)。

これまでの連載で、人間の欲望という内なる敵を制するための自制心についてお話ししてきましたが、自制心だけでは資産形成ができないことがはっきりしてきたと思います。

ここで我々は、社会的比較、相対的地位を巡る争いが資産形成にとって大きな障害となり、基本的な需要以外の余剰収入は注意しなければ、そのすべてが相対的地位を巡る争いに浪費されてしまうことを理解する必要があります。

これは、自分が望もうが望むまいが、自分の遺伝子を引き継ぐ子供が、ひとりだけ学校の中で他人の子供より劣る持ち物や服装などの条件下に置かれることに対するひどく不快な感情を連想すれば、いかに自然淘汰のうえで「他人より相対的に高い地位を求めなければならない」という根深い信念が形成されてきたかが分かると思います 。

これこそが、「高収入貧乏の谷」に落ちる人たちが陥っている地位競争です。

人間が進化の過程でプログラムされたもうひとつの敵である社会的比較というものに根本的に対処する必要があることを理解いただけたでしょうか?