そもそもの目的はドイツ封じ込め

ギリシャ債務危機をめぐっては、EU(欧州連合)の動きが大きな注目を集めています。「やけにドイツやフランスが表に出てくるな」などと感じている人もいるでしょう。一方、EUの多くの国が単一通貨ユーロを採用しているのに、「なぜイギリスはポンドを守り続けているのだろう」と疑問を持っている人もいるかもしれません。

現在EUに加盟しているのは、なんと28カ国。それぞれ温度差があるのは当然かもしれません。そんなEU事情を知るには、3つの大きなポイントを押さえておきたいところです。

EU加盟国とユーロ導入・未導入国

一つは、古代ローマ帝国(紀元前27~395年)から連綿と続く欧州統合の歴史。次に、20世紀に二度の世界大戦を引き起こしたドイツをどう扱うかという点。最後に、EUの一員なのに一定の距離を置きたがるイギリスの存在。

さて、古代ローマ帝国から歴史をひもとくには紙幅が足りませんので、第2次世界大戦後のドイツの立場から振り返ってみましょう。現在の欧州統合が本格化したのもこの時期からです。

ヨーロッパの歴史の中では、ドイツ、フランス、イギリスは拮抗した存在ですが、それでも人口、勤勉さでドイツが頭一つ抜きん出てしまう。また隣同士のドイツとフランスは何度も戦争を重ねてきました。だから終戦後、フランスはドイツをいかに管理するかに腐心、欧州統合の枠内にドイツを封じ込める方向に動いたのです。

一方のドイツも、自らの立場をよく心得ていました。何事も本気でやるとドイツが勝ってしまうので、一歩下がって、控えめに振る舞うことで、周辺国が抱く警戒心を和らげたいと考えたのです。欧州統合はそうしたドイツに居心地のいい場となりました。ドイツとフランスの対立の構図が完全になくなったわけではありませんが、欧州統合で利害の一致する両国はことあるたびに、EUの推進役にも、危機の回避役にもなってきたわけです。

▼戦後EUをめぐる動きと経済統合

(1)1952年●ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)設立
2度の大戦の原因にもなった独仏間の石炭資源と鉄鋼業を共同管理することで、その後の戦争を回避する狙いがあった。EUの原加盟国であるフランス、西独、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの6カ国が参加し、EUへの第一歩となった。

(2)1958年●EEC(欧州経済共同体)設立
ECSC同様に、EU原加盟国が57年に調印。関税同盟の結成、人・サービスおよび資本移動の自由、共通農業政策(CAP)、欧州投資銀行(EIB)の設立などの目標を掲げた。その後、67年、ECSC、EURATOM(欧州原子力共同体)と統合しEC(欧州共同体)へ。

(3)1960年●EFTA(欧州自由貿易連合)設立
EECに対抗するように、英国主導で発足。しかし英国は73年に脱退しECに加盟した。

(4)1992年●EU誕生と域内市場統合
EU発足を定めたマーストリヒト条約が調印され、翌93年に発効しEUが誕生。92年には、人・モノ・サービス・資本の移動が自由な単一市場を完成させるため、物理的・技術的・財政的障害の除去を目的とした共通化のためのEU法令も採択された。

(5)1999年●ユーロの導入
79年より実施されていた欧州通貨制度(EMS)をさらに進めるため、各通貨間の相場の固定と単一通貨を導入。ユーロ貨幣が流通開始したのは2002年から。