男子家を出ずれば7人の敵あり、というが、日々のストレスといかに向き合えばよいのか。吉野山金峯山寺1300年の歴史で2人目となる大峯千日回峰行満行を果たした、塩沼亮潤大阿闍梨に話を聞いた。

千日山を歩く修行、寝ず食べずの修行が楽に思えた人間関係

私たちはすべてが思い通りにならないという現実の中で生きております。なかでも、人間関係の悩みは一番ストレスがかかるものです。例えば、自分は何も思ってもいないのに、嫌なことをされたり、言われたり。日々悩んでいる人はたくさんいらっしゃるかと思います。

慈眼寺住職 塩沼亮潤氏

でもこれは、すべての私たち人間に与えられた人生という修行でもあるんです。「四苦八苦する」という言葉がありますが、これは仏教の教えであります。まず、「四苦」とは「生老病死」のこと。この世に生まれてくることも、老いも病も死も、人間がいくら努力しても逃れることができない定めをもってこの世に生まれてきます。

しかし、自分の心をうまくコントロールすれば、苦しみを楽に転換することができるもう4つの苦しみがあるというのです。それは、欲しいものがなかなか手に入らないという苦しみの「求不得苦(ぐふとく)」、どんなに愛する人とでも別れなければならない苦しみの「愛別離苦(あいべつりく)」、心身を思うようにコントロールできない「五陰盛苦(ごおんじょうく)」。そして、私があえて最後にお伝えしたいのが、恨みや憎しみを抱いてしまう人と出会う苦しみの「怨憎会苦(おんぞうえく)」です。自分を攻撃したり、騙したりする人との出会いは、まさに「怨憎会苦」で、苦しみの中でも一番つらいものです。

私は19歳で仏門に入りましたが、お寺といえど、すべてを悟った人が集うところではありません。悟りを求めるために道を求める人たちが生活しますので、外の社会とさほど変わりません。「どうしてだろう?」と悩みの渦の中にいて、皆さんの悩みと同じ悩みを持っていた一人でもあります。体に過酷な負担を与える厳しい修行のほうがまだ楽に思えたことだってありました。

ではその悩みから私がどのようにして抜け出したのかというと、やはり、修行という人生の勉強のおかげです。「なぜそんなに厳しい過酷な修行をするのですか」とよく問われますが、山での修行とは、自分自身の心を高めて、あらゆるとらわれから離れる人生の大学みたいなものです。

私が修行のひとつとして23歳のときに取り組んだのが、吉野・金峯山寺の大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)というものでした。