そのなかでキリンはなぜ、あまたある有力候補のなかから、一般には「通信会社」のイメージが強いソフトバンクをパートナーに選んだのだろうか。

ひとつには、「ソフトバンクはPCソフトの卸売りから出発しているため、特定メーカーなどのバックがなく中立的なオペレーションを期待できる」(井上氏)という実務上の理由があった。加えてソフトバンクの担当者が披露する、次のような「未来の見取り図」に井上氏らキリン側が魅了されたという事実も見逃せない。

「5年後、10年後には必ず、間接材の一括調達という仕組みが当たり前になっている。そういう見取り図をソフトバンクの方々はみなさん、頭に思い描いているんです。そのビジョンを基に、業界を代表する会社であるキリンは先行事例になるべきだ、一緒にやりましょうと呼び掛けてくれたのです」(井上氏)

組む以上はナンバーワンと

こうしてキリンとソフトバンクによる「壮大な社会実験」(井上氏)がスタートした。中野移転までの期限も迫り、片付ける課題は山ほどある。そのため当初は定例会を週2回設け、毎回3時間に及ぶ議論を行った。

最大の課題は、キリンの各拠点がそれぞれの裁量で行ってきた1000社を超えるサプライヤーとの取引をパーチェスワンの口座に一本化することだった。サプライヤーのなかには個人営業の文具店なども含まれており、先方に意図を理解してもらうだけでも膨大な手間がかかる難事業。だが、ソフトバンクの面々は、ひるまずに食らいついてきたという。

「サービスの開始直後であり、我々としても手探りの状態でした。この千載一遇のチャンスに懸け、キリンさんについていこうと決めたのです」(営業を担当したパーチェスワン事業統括部の千葉健一氏)

間接材一括購買システムの「パーチェスワン」を最初に取り入れたキリンビール横浜工場(横浜市鶴見区)。ここから「壮大な社会実験」(キリン・井上氏)が始まった。

若き日の孫氏の言葉に「組む以上はナンバーワンと組む。そこと成功すれば、後は黙っていてもすべてがうまくいく」がある。キリンとの取り組みはこれを実践した形となった。

パーチェスワンは、10年1月に中核拠点であるキリンビール横浜工場から稼働を開始。その後、国内11工場のほか研究部門や営業部門、管理部門にも利用を拡大していく。