ビジネスや人生につきまとう「競争」では、意外な要素が、結果に決定的な差をもたらすことがある。

「読解力」の有無も、その1つだ。

たとえば、「プレジデント」の記事を読み解く、というケースを考えてみよう。当然、読む人によって、内容の受け取り方はさまざま。書かれた意図をうまく読み取ってヒントを得られる人もいれば、表面的にしか理解できない人もいる。

こうした差が積み重なることで、やがて、埋めがたい差がついていく。

この「読解力」という点で、中国史上傑出していたのが、劉邦に仕えた名将・韓信に他ならない。

韓信は、劉邦の別動隊の将軍として、趙という国の攻略を命じられたことがある。このとき、韓信軍はせいぜい1万余りの小勢、しかも寄せ集めの兵士たちだった。一方、趙は20万と称する大軍で、砦を築いて韓信軍を待ち受けている。このままでは到底勝ち目がないとみた韓信、こんな奇計を考え出す。

まず、軽騎兵2千人を選び、全員に赤いのぼり旗を持たせ、趙の砦近くの山かげに潜ませておく。彼らには、こんな指示を言い渡してあった。

「趙軍は、わが軍が退却したとみれば、砦を空けて総出で追撃してくるだろう。その隙に砦に入り、趙の旗をぬいて、わが軍の赤い旗を並べるのだ」

夜半に韓信は、本隊の1万人を率いて、趙の砦の前を流れる川を背にして布陣した。趙軍は、兵法を知らぬ大馬鹿者よ、とこれを見て大笑いした。

やがて夜が明け、韓信軍は兵を進めて趙軍と戦い始めるが、頃合をみて韓信はわざと兵を引き、川の前まで退却した。

趙軍はチャンスとばかり、砦の守備兵まで駆り出して、韓信軍を攻め立てる。ところが、なかなか打ち破ることができない。逃げ場を失った韓信軍は、「火事場の馬鹿力」の発揮された手強い状態になっていたのだ。

そうこうしているうちに、潜んでいた別動隊が趙の砦に侵入、旗をすべて漢の赤旗に代えてしまう。

韓信軍の頑強な抵抗に、趙軍は仕方なく一旦引き返そうとした。しかし、そこで見たものは、韓信軍の赤旗はためく砦の姿だったのだ。パニックに陥った趙軍を、すかさず韓信軍が挟み打ちにし、鮮やかな勝利をものにした。