優れた部下が「期待に応えたい」と思う上司
「この四点に勝る曹公が、天子を奉じて正義の戦いを起こすのであるから、袁紹に負けるはずがない」(書籍『三国志 演義から正史、そして史実へ』より)
袁紹の圧倒的な大軍の攻勢で、一度は苦境に陥った曹操軍は、荀イクらの策謀で敵を内側と外側から切り崩し、最後は曹操軍が勝利を収め、ほどなく袁紹は病死します。
袁紹の最大の敗因は、部下の能力や優れた献策をすぐに採用せず、ぐずぐずして決断力もなく、チャンスを活かすことができなかったことです。
最大派閥だった袁紹軍にも、優れた軍師や参謀は存在していました。しかし彼らの渾身の作戦も謀略も、トップである袁紹が活用できなければ何の意味もありませんでした。
曹操陣営の知略をになった荀イク、そして郭嘉(かくか)などの人物は、袁紹のトップとしての能力を見限ったことで、結果的に敗残の軍でみじめな敗死をすることを避け、天下に覇をとなえる曹操と共に、歴史に勝れた足跡を残すことになったのです。
現代ビジネスでも、優れた能力を持つNo.2タイプの人材は、自分をフルに使って能力を発揮させてくれる、勝てる上司を見つけて下につくことに熱心です。沈む船、勝てない上司に最後までついていくのは、ビジネスシーンでも、たいていの場合は能力の低い人たちです。なぜなら、現状にしがみ付くしか、ほかに方法を思いつけないからです。
荀イクの紹介で曹操にあった郭嘉は、曹操と天下の情勢を論じますが「私に大事業を完成させてくれるのは必ずこの人物だ」と曹操に言われます。また郭嘉も「このお人こそ、まことの私の君主だ」と喜びました(書籍『正史三國史群雄銘銘傳』より)。この時、郭嘉はわずか28歳です。
曹操は若手でありながらもずば抜けた才能を持つ郭嘉を重用し、彼の献策によって何度も危機を潜り抜けて、劇的な勝利を重ねます。曹操は、優柔不断な袁紹とことなり、才能に溢れた者を見抜き、彼らを信じて大きな活躍の場を与えたのです。曹操の配下の武将、参謀、軍師は、いずれも曹操の期待に応え、彼のために献身を惜しみませんでした。