核持ち込みは日本政府も知っている

戦後、日本はアメリカ主導の核不拡散体制を支持して、唯一の被爆国として「非核三原則」を国是に掲げてきた。

「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という3つの原則は佐藤栄作内閣で打ち出され、その功績が評価された佐藤元首相はノーベル平和賞を受賞している。その後、沖縄返還や核拡散防止条約の批准に際して、非核三原則を遵守する旨の付帯決議が国会などで採択され、歴代内閣はこれを堅持してきた、といわれている。しかしこれは日本が得意な建前であって、佐藤内閣が表明した当初から非核三原則は絵に描いた餅だった。

まず「核を持ち込ませず」。これは完全に嘘である。米軍の原子力空母や原子力潜水艦はハワイやグアムから佐世保や横須賀に向かう。出港時に積まれていた核兵器が、無寄港で日本に到着したときになくなっているはずがない。途中で海洋投棄でもしていたなら、北朝鮮あたりが喜んで拾いにいくだろう。米艦船が日本に核兵器を持ち込んでいることは米軍関係者には周知の事実で、ライシャワー元駐日大使も「核持ち込みは日本政府も知っている」と証言している。政府は否定し続けているが、理屈は腸捻転ものだ。

「核持ち込みは日米安保条約によって“事前協議事項”になっている。今まで米国側が事前協議を申し込んできたことはないので、『核は持ち込んでいない』ことになる」

核を持ち込んでいるかどうか、正面切ってアメリカに問い質せばいいのだが、日本政府はそれをやらない。聞けば国民に説明しなければならないし、YESと答えられたら非核三原則が崩れるからだ。

ニュークリアレディ国を目指した日本

「核兵器を作らず」についてはグレーだ。戦時中には仁科研で開発が行われていたことが資料に残っているし、戦後になってからも日本で核兵器がつくれるかどうか、当時の原子力関係者に検証させたのである。今でこそ原爆のつくり方もネットで簡単に調べられる時代だが、当時は情報が限られていた。マンハッタン計画を復習し、実験を行いながら原爆製造のプロセスを解明して、「こうやればつくれる」という目処をつけた。実際に核兵器をつくったわけではなく、ノウハウ的な障害、あるいは製造する施設的な障害がないことを確認したのだ。

自民党政府は非核三原則の表看板を掲げて原子力の平和利用を謳いながら、その裏で日本の核武装の可能性を模索してきた。まず目指したのが「ニュークリアレディ(Nuclear Ready)国」である。核保有国ではないが、核兵器をつくるために必要な条件がすべて揃っていて、その気になれば90日以内に核保有できる。そうした国を「ニュークリアレディ国」という。つまり核準備国だ。ニュークリアレディ国であれば、核兵器を持たなくても「核抑止力」の効果を得られる。特に外国から核で脅かされれば、逆効果になる、ということで抑止力につながる、という発想だ。