つまり、企業が生き残ろうとする必死の努力が、経済学でいうところの市場の均衡を阻むのです。限界利益が減ったから、マイナスになったからといって、市場から即時に退出するのではなく、むしろ血のにじむような努力をして踏みとどまろうとする。規制緩和によって競争が激化し、ダメな企業が淘汰される、というのは長期的にはそうかもしれませんが、人間に忍耐力や向上心が備わっているがゆえに、短期的には理論どおりに市場が動かないのです。

タクシー業界の参入規制を緩和して運賃は下がるどころか、東京のタクシー料金は2007年12月に値上げされ、初乗りが660円から710円になりました。タクシー料金は公共料金です。値上げにあたっては、全国に90あるブロックごとに事業者(タクシー会社)団体が国土交通大臣あてに認可申請を行い、これを受けて、国土交通省の審査が行われ、必要と認められた場合に実現します。通常、標準的な事業者の経営状態(の悪化)が改定を認める基準になりますが、今回は違いました。会社ではなく、運転手の収入改善が大きな理由でした。タクシー運転手と他の産業で働く労働者との年収差が開きすぎているので、その差を縮めることが目的だったのです。

この値上げは間違っていました。運転手の待遇改善を目指すのであれば、値上げではなく、台数を減らすべきだったのです。台数を減らし、料金を据え置けば、需要量は変わらないわけですから、1台あたりの売り上げは上がったはずです。少し経済学的に分析しましょう。

商品価格の変化に対して、需要量や販売数量がどのくらい変化するかを示す割合を経済学用語で「需要の価格弾力性」といいます。1%の価格変化に需要量が何%変化するかということです。価格変化に対して需要量の変化の割合が小さい場合、「弾力性が小さい」といいます。食品や衣料などの生活必需品は弾力性が小さく、娯楽用品などの嗜好品は高いのが普通です。タクシー料金の場合は後者です。一般庶民にとってタクシーは一種のぜいたく品で必需品ではありません。多くの時間帯でタクシーのかわりに電車やバスを使えばすみます。

この値上げと同時に、割増料金が導入されました。それまでは午後11時からだった深夜帯を午後10時からに早めてしまったのです。ただでさえ不況の影響で懐が寂しい人ばかりなのに、いままでは割り増しにならない午後10時台にタクシーを使っていた人はもちろん、たいていの人は電車のあるうちに帰宅するようになりました。深夜帯を繰り上げたかわりに割増率をいままでの3割から2割に減らしたのですが、10時台の利用客にとっては、単なる値上げにしかならず、それ以降の時間の利用客から見ても、料金が1割以上がっていますから率の低減によるプラス効果はほとんどありませんでした。深夜帯はタクシーの絶好の稼ぎ時ですが、その時間に利用する乗客をみすみす逃してしまうことになったのです。

なぜ、1台あたりの売り上げ増を狙いとした値上げがまったく逆の結果を招いてしまったか。これは料金の価格弾力性の高さ(=値上がりしたら、乗客が離れてしまうこと)について理解していなかったことが原因です。

国土交通省は自分たちの失政を認めず、今度はタクシーの下限料金を上げようとしています。地域ごとの上限運賃を決め、それを10%下回る額を下限運賃とし、その間であれば、各社が自由に決めていいことになっています。下限運賃をとっている事業者の経営収支が悪化していることから、上限と下限の差を5%に縮めようとしています。

こんなことをやると、「初乗り500円」といった安い料金で精一杯、努力している会社を退出させることになってしまいます。

タクシーの規制はどうあるべきか。よく審議会という形式で議論されるのですが、そういった場には、国土交通省の元役人、御用学者、財界の代表といったお馴染みの面々が並びがちです。いまはネットの時代ですから、そういうツールもうまく使って、一般人の意見も幅広く取り入れて進めるべきだと思います。

※この連載では、プレジデント社の新刊『小宮一慶の「深掘り」政経塾』(12月14日発売)のエッセンスを全8回でお届けします。

連載内容:COP15の背後に渦巻くドロドロの駆け引き/倒産に至る道:JALとダイエーの共通点/最低賃金を上げると百貨店の客が激減する/消費税「一本化」で財政と景気問題は解決する/景気が回復で「大ダメージ」を受ける日本/なぜ医療の「業界内格差」は放置されるのか/タクシー業界に「市場原理」が効かない理由/今もって「移民法」さえない日本の行く末

(撮影=小倉和徳)