漱石文学は究極の癒やしだった

――近著『漱石のことば』の書き出しの「残念な青春――。」という言葉にハッとします。姜さんの10代は、1960年代と重なります。日本の高度成長期の真っただ中で孤独感に陥り、なぜ夏目漱石に傾倒していったのですか。
姜尚中氏

まさに世はイケイケドンドンの時代。自分の在日二世という立場に悩んだこともありますが、どうしようもなく孤独だったのです。周りと同じに、眩しく燦々と輝く太陽の下、青春を思いっきり楽しみたい。そんな私にとって漱石は、淡いペンライトのような光でした。出身地の熊本は、漱石が五高(現熊本大学)で教鞭を執ったゆかりの地ですから、小さい頃からなじんでいた作家です。

まず手にしたのが『坊ちゃん』の絵本版でした。でも、最初に「いいな」と思ったのはやはり『三四郎』。60年代の終わり、私も故郷の熊本を離れ、ひとり上京しました。それで三四郎を身近に感じたのでしょう。入学した早稲田大学は、盛んだった学生運動が勢いを失い、世の中は大阪万博のお祭り気分に浮かれていました。そんな雰囲気になじめない私は、暗い地下室のような世界に閉じこもりました。

そのタイトルに惹かれて読み始めた『心』で、主人公である「私」が先生と呼ぶ人物が「私は淋しい人間ですが、ことによると貴方もさびしい人間じゃないですか」とつぶやくシーンがあります。私が求めていたのは、こんな自分を慰めてくれる言葉でした。以後、漱石は私を地下室から連れ出してくれるメンターになったのです。

漱石の小説は『坊ちゃん』のようにユーモラスなものもありますが、明るい雰囲気の作品は意外に少ない。しかし、当時の私にとっては、明るさよりも、暗さこそ必要でした。折々に、漱石を読むと「私も人並みに悩むことのできる人間だ」ということを感じ取ることができたのです。その意味で漱石文学は、私にとって究極の癒しだったのかもしれません。