家族を大事できない人に国民を大事になどできない
宮崎議員の育休取得について、金子議員は次のように話す。
「流産の不安を抱えている間、宮崎が家事全般を行ってくれ、明るくそばに付き添ってくれて心強かった。『育休を取ろうと思う』と宮崎が言ってくれたとき、助かるな、と思いました。出産された方々からは、『赤ちゃんとふたりきりで過ごすということには、想像をはるかに超える不安とストレスがある』『何で赤ちゃんが泣いているのかわからず、深夜、夫の帰宅を待ちながら泣いていた』といった声を聞きました。ともに育児をしながら精神的に不安な妻をそばで支えることも、男性が育休を取得する大切な目的なのだと思います」
「男性が育休を取っても何の役にも立たない」「ベビーシッターを雇えばよい」という意見もある。だが、ふたりの話を聞いていると、妻のそばにいることが、夫の育休取得の最も重要な意義のように思えてくる。
「国会議員」に対する個人的見解、「高額所得者」に対する羨望の眼差し、それに「党内の手続き問題」が加わって、複雑な議論になっているが、宮崎議員が育休取得に至ったのは、家族への愛情という点に、筆者は共感する。家族を大事に思えない人に、国民を大事に思うことはできない。
宮崎議員は衆院規則を改正し、育休規定を整備しようと考えている。さらに、育休取得を推進する勉強会を立ち上げ、将来的には非正規雇用者や自営業者の育休制度の整備、働き方の改革まで視野に入れている。
宮崎議員、金子議員の出産・育児体験が、今後の育休推進政策にリアリティを加えていくのではないか。政策を立てる上では、経験者からでしか出てこない視点があるはずだ。働き方が多様化する中、ふたりの貴重な体験が、組織の育休に関わる諸問題を適切な解決策へと導くきっかけとなることを願う。