貪欲な好奇心を持つ
特にこれといってやりたいことはないし、現状維持ができればいいという話をときどき聞きます。これは危険な考え方で、努力を伴わない現状維持はセーフゾーンを守るどころか、刻一刻と進化する世界の中では後退の一途をたどるに過ぎません。自分は変わらなくても周りは変わりますから。変わらない環境に居続けるというのは変化という動的安定を失うことです。ずっと今と変わらない日々を送りたい、と思った時に考えなければいけないのは「変わらないものとは一体何なのか」なのです。不安定な環境に自分をおくことで成長できるし、変化し続ける環境を手に入れ、その中で生きていくことこそが、人生の安定だと私は思います。
それでは現状維持を望む意識をどうすれば打破できるのでしょうか。それは、好奇心を持つことであり、探究心につなげることであり、やる前から無駄になるなどと考えず、まずはやってみるというところに話は戻るわけです。
私が医学生だった頃の話ですが、眼科医として研究も臨床もやりたいと考えていたので、大学院に入ってからの2年間は臨床研修に励み、その後は臨床医の仕事をしながらの研究生活に入りました。通常は研究室に入ると研究テーマが与えられるのですが、私は「網膜に特異的な遺伝子を見つける」というテーマで研究すると決めていたので、それを受け入れてくれる研究室をあちこち探し回りました。
ほうぼうで「君がやりたいからといってもやれるものではない」と言われたものです。そんな中、唯一、許してくれる研究室に巡り合えたおかげで、世界で初めて緑内障原因遺伝子「ミオシリン」を発見することができました。もしも、自分で決めた研究テーマを諦めていたら「ミオシリン」を発見したことで開いた世界は存在しなかったわけですし、今とは違う人生を歩んでいたでしょう。
楽観的に考えると、それはそれでまた違う世界観を描いて生きていたのでしょう。しかし、貪欲な好奇心がなければ得られないものもあります。それが私の研究者時代の「ミオシリン」でした。
人から絶対に無理だからやめとけと言われることを覆してイノベーションを起こす仕事をしていると、根拠なく「絶対に」とか「あり得ない」と言い切る人に出会うと、大変申し訳なくも「この人は大丈夫だろうか」と感じてしまいます。
自分から挑戦せず、たまたま縁があってやっているとしたら、それは目の前に転がってきたボールをただ拾ったにすぎないという話です。自分がしたいと思ったことをひとつでも多く、自ら挑戦し、経験を積んでいくほうが、その先にある世界の眺望が違ってくるのは言うまでもありません。