選手が指導者になり、経営にも携わる例は少なくない。しかし、指導者や経営サイドの仕事は、現役引退後のこと。本田のように、現役選手が指導者のキャリアも飛ばし、クラブ経営に乗り出すのは異例中の異例と言える。
「サッカースクールからホルンまでの道筋をピラミッドとして描いたとき、ホルンのさらに上に最終目標を置いています。種明かしには、もう少し時間がかかる。今言えるのは、ロングタームのプロジェクトであるということ。勝手に自分が60代になったときをゴールとして設定しています。なかなか簡単なことではないけれど、これまでもずいぶん無茶を言ってきたし、それは相変わらずですから」
笑いながら語るが、その表情には時間に余裕はないのだという、ただならぬ緊張感も見て取れる。選手、指導者、クラブ経営のすべてを視野に入れるなら当然とも考えられる一方で、彼特有の時間に対する観念もあるようだ。
「僕は膝に大怪我をしたことがあります。それまで、自分は強いし、さまざまなケアもしているし、怪我などするはずがないと思っていた。生身の身体に負荷をかけすぎれば副作用が起こるということですよ。まして、平気で無理をするこういう人間ですから、副作用は必ず起こるし、いつ死ぬかわからない。けれど、やめようとは思わないし、やめたくない。好きでやっていることだから、全力でやりきろうと思う。短い人生、長い人生、いろいろですけど、平等なのは人生が1回きりということでしょう。そしてその人生が成功だったか失敗だったかという評価は、死んだ後に、残された人たちが下すものだと思う。だったら、後悔のないように全力で生きることしか、自分にはできないんですよね。死に対して怖さはあまり感じませんが、何か大きなことをやりたいので、時間の有限さには、すごく危機感を持っている。そういう意味でも、いつ死ぬかわからないということを、日々、意識しています」