教養と雑談力と、綿矢りさの小説

「雑談する力」と教養の間には正の相関関係がある。従って、教養のある人間になることを目指せば、おのずから「雑談する力」が身につく。

教養をつけるうえで最大の障害は、嘘をつくことだ。この点について、綿矢りさの小説「You can keep it.」(「これあげる」くらいの意味)が面白い。大学生の城島が、ちょっとした虚栄心からクラスメートの女子学生にインドに行ったという嘘をついてしまう。その結果、こんな窮地に陥る。

〈「現地の物売りとケンカなんて、危なくない?」綾香の友達が心配している。
「うーん、そうかもしれない。でも現地の人とのふれあいこそ旅の醍醐味だから……ね、城島もなんか売りつけられそうになったことがあったんじゃないの」
「ああ。でも口論なんてできなかった、ナマステしかインドの言葉は知らないから」
「そんなの必要ないでしょ」
「まあ確かに身振り手振りで伝わるけれど」
「何言ってるの城島、物売りの人たちも私たち外国人には英語で話しかけるでしょ。よっぽど宿にこもりっきりだったんだね。どこに泊まっていたの?」
インドっぽい言葉を思い出せばいい。それに「ホテル」とつければいい、マハラジャとかカルカッタとか、しかし頭に雲がかかったようになり、
「……思い出せないな。カレーの美味しい宿だった」
「そう? じゃ、なんのインドカレーが好き? 私マトンカレー」
「おれビーフカレー」綾香の表情が固まる。
「と言ってもルーが真っ黄色のやつ」城島はフォローを入れたが綾香の表情は変わらない。
「ねえ城島はインドでは神聖な牛を食べちゃったの?」綾香の友達の無邪気な声に城島の身体が不自然に揺れた。
冗談に決まってるでしょと綾香は笑い飛ばしたが、ふと真剣な顔になった。
「インドの空港、どこ使った? 日本からの直航便だと2つあるんだけど」
みるみる厳しい表情になっている。駐車違反とか取り締まる婦人警官のようだ、警帽がきっとよく似合う。
「……ニューデリー空港」
「よく思い出してみて。ちょっと違うでしょ」
「……ヨガ空港」
全員が押し黙った。〉

(「You can keep it.」『インストール』河出文庫、164ページ~)