夏目漱石が描いた「世間」とは

ここで、明治の文豪である夏目漱石に触れてみたい。彼はその作品のなかで、細々とした人間の日常における心情や感情、人間関係の駆け引きを描き続けた。それは、私たちが俗に「世間」と呼ぶ存在だと思う。有名な『それから』という小説を読むと、ブルジョワの息子として登場する主人公の放埓ぶりや友人の妻との三角関係などを通して“モラル”というものを考えさせられる。漱石は、それが世間の外にあるのではなく、私たちの日常の生活の細部にあると説く。私は、彼のいうモラルを愛や信頼という言葉に置き換えて考えていいと思う。

それなのに、いつしか世間が薄く、空虚になってしまった。最近の老人の孤独死などは、その結果なのかもしれない。それでも私たちは、この世間で他者とともに生きるしかない。その人間関係のなかで、自由の本質を考え、勝ち取っていかなければならない。自由は互いに認め合うことで成り立つ。自分さえ良ければ他人はどうでもいいという風潮がはびこる世の中だからこそ、周囲の人と共感することが必要だ。

悪が絶えるときがいつなのか、私にもわからない。大事なことは悪に屈しないという強い心を鍛えることでないだろうか。言葉を換えれば、より良く生きようと心がけることである。人間を信じ、モラルを実践するところには、悪が付け入る隙はないはずだ。そうすれば、人間を大切にする社会の回復につながっていくことは間違いない。私は、悪の連鎖が、いつの日か人間的な連鎖に変わっていくことを夢見て日々を過ごしている。

(構成=岡村繁雄 撮影=澁谷高晴)
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