いまやツイッターのフォロワー数27万人。世界陸上のメダリストで、ベストセラー『諦める力』の著者、為末大さんが、世界の問題から身近な問題まで、「納得できない!」「許せない!」「諦められない!」問題に答えます。(お悩みの募集は締め切りました)。
お悩みファイル3■アカデミー賞の夢を諦めるべきか?
高校時代からアカデミー賞を取りたいという夢を持っていました。大学から映像を作り始め、もっと映像の勉強をしたくて大学院を二度受けましたが落ちました。生活のために、映像とは関係ない会社に就職し、現在社会人2年目です。アカデミー賞の夢は完全に諦めたわけではないのですが、会社に入ってから映像作品を作ることもやめてしまいました。自分は映像の世界に興味が無いのかもしれません。入社後、大病をしたこともあり(幸い回復しましたが)、思い残すことのない人生を送りたいと思っています。今からでも、色々挑戦し、やりたいことを見つけるのがいいと思いますか? それとも形だけの夢に向かって、腹をくくって飛び込むのがいいと思いますか?(男性・プログラマ・26歳)

そもそもなぜ自分はアカデミー賞を取りたいと思ったのか。そこを問い直すところからだと思います。世界中の人から賞賛されるからなのか。作品が評価されればより大きな仕事につながるからなのか。もっとシンプルに言うと、「褒められたいから」なのか「作りたいから」のか。

すぐには答えがでないようなら、まずはアカデミー賞というものを人生のどこで意識したのかを考えてみてください。もしかしたら、子どものとき近所のおじさんが「アカデミー賞っていうのは大したもんだ」というような話をしているのを聞いたとか、たまたまテレビで見た受賞式の映像の華やかさにひかれたとか、何かのきっかけで自分の内側にある欲求とアカデミー賞というものが結びついて、夢の象徴として自分のなかに住み着いたのかもしれません。その欲求の正体は「褒められたい」だったのか「作りたい」だったのか。

答えが「褒められたい」だった場合、現実問題として世界中の人から賞賛されるような仕事を成し遂げる人はそう多くはいません。でも、世界中とまではいわなくても、自分の周囲の人間に喜ばれるというレベルに目標を再設定すれば、それほど達成困難なことではないでしょう。

いま悩んで身動きがとれなくなっているというのであれば、できることに意識を向けるということが大事だと思います。アカデミー賞は取れなくても、その賞を目指した気持ちの奥底にある欲求は、別の手段でも達成することは可能です。

僕は、人参は適切な距離に置かれたときに最も効果を発揮すると考えています。多くの人にとって到底手の届かないところにある巨大な人参にばかり目を奪われていると、目の前の小さくても魅力的な人参に気がつかないこともあります。

欲求の正体が「作りたい」だった場合は、期限を決めてその夢を追いかけるといいのではないでしょうか。たとえば30歳まではがむしゃらにやってみるとか。30歳であれば、何か新しいことを始めるのに決して遅すぎることはないと思います。

もしかしたら質問者の欲求は「褒められたい」でも「作りたい」でもないのかもしれません。「形だけの夢」とご自身で言ってしまっているところからも、賞というゴールよりも、そこに至るまでの充実感のようなものに重きを置いているように感じます。

賞を取るぞ! という思いで突き進んでいたときの高揚感をもう一度味わいたい、ということであれば、学生時代に夢中になった映像の世界から少し目を転じて、「いま」心から楽しいと思えることに時間をさいてみてはどうでしょうか。「形だけの夢」にはどうやったって腹をくくって飛び込むことはできませんから。

為末 大(ためすえ・だい)
1978年広島県生まれ。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2014年10月現在)。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。2003年、プロに転向。2012年、25年間の現役生活から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)、Xiborg(2014年設立)などを通じ、スポーツ、社会、教育、研究に関する活動を幅広く行っている。
http://tamesue.jp
(撮影=大杉和弘)
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