地図の真ん中に日本があるのは、正しいか?

欧米の道を歩いていると、それぞれに名前がついている。長細いプレートに道の名前が書かれた標識が交差点に立っているため、645 Beacon streetといえばビーコンストリートを歩いて645番の建物が目的地という風だ。デレク・シバースは日本人が道を尋ねるなら、アメリカ人と逆の発想をすると講演で語っていた。そこにあるのは、文化の違い以上の “視点の違い”。それは、こんなものだ。

日本人が住所を探すときには、まずは番地や何丁目かの“区画”を探すだろう。だから、アメリカで道に迷ったらやりとりはこんな風になる。

日本人「この区画の名前は何ですか?」
アメリカ人「この区画に名前はなく、名前は道についています。名前のない部分が区画です」

そう、道に名前があっても、区画には番地のような名前がないのだ。

では、アメリカ人が日本に来て道を尋ねたとしたらどうなるかだろう。

アメリカ人「この道の名前は何ですか?」
日本人「道に名前はなくて、名前は区画についています。ここのあたりは8丁目で、この区画は16番地。ですからここは8丁目16番1号の家です」

所変われば、発想そのものも見方も変わる例である。道に名前がつくアメリカと、細い道には名前がなく、その囲まれた区画に名前がつく日本。そして、日本の地図では、もちろん日本が真ん中に置かれている。ところが、欧米からすれば日本は「極東」であり、地図の右端にあることが多い。

物をどこから見るかで、大きく発想は変わっていく。正しいか間違いかではなく、ふたつの地図はどちらも正解だ。ただ何を真ん中に据えたかという、捉え方や視点の違いで仕上がりはこんなにも違ってくるということだ。

では、最近流行のマテ茶から、地球の裏側の発想をみてみよう。