「厳格な父親」でいることが務め
すべてのことには王道がある――。父にそう教えられました。組織にあっては社員として、課長として、部長として、社長として、家庭にあっては父親として、夫としての王道があります。王道とは、つまり役割であり、最低守らなければならないことと言い換えることもできます。また、王道は“道”ですから、幅があります。その幅をうまく使いながら、王道から外れないように生きることが大事だと思います。
父はとても厳格な人でした。私は昭和15年生まれですが、私が子どもの頃の日本は貧しく、私たちも食うや食わずの生活でした。食べていくためには、必死で勉強して偉くなるしかない時代だったのです。当時、いつも父に言われていたことは、「自分のためではなく、人のために生きる人間になりなさい」ということ。自分のためではなく、まずは家族のため、組織のため、学校や会社のため、ひいては地域や国のために考え、行動する。「自分本位の人間は、人の上には立てないぞ」が父の口癖でした。
私は父の背中を見て育ちましたから、子どもにはとても厳格な父親でした。子どもを褒めたことはほとんどありません。ダメなことはダメだと厳しく叱ってきましたし、自立心や独立心を養うために、あえて厳しい態度で接しました。子どもを溺愛するだけでは、親としての役割を果たせないと思うのです。
特に父親は、子どもに「怖い」と思われるくらいが丁度いい。「子どもに厳しくする」ことが父親の務めだと私は思います。なぜなら、子どもが大人になって社会に出たときに、自分の力で人生を切り拓いていけるよう、たくましい心と体を養うのは親の責任だからです。
いつも厳格な父でしたが、その一方で、子どもたち(私や兄弟)を信頼してくれました。何があっても「うちの子がそんな悪さをするはずがない」と言って、子どもたちを最後まで信じてくれるのです。子どもながらに、父の信頼を裏切れないと思いました。私も子どもを褒めることはありませんでしたが、子どもを信じてきました。親が信頼をかければ、子どもは自然と責任感のある子どもに育つのではないでしょうか。