そのために力を入れるのが保健補導員の活動である。保健補導員――聞き慣れない名称だ。「健康について学んだ住民が、まず自らの健康を守り、さらに家庭から地域へと健康の知識を広める」役割を担う保健補導員を白沢さんは「地域のアンテナのような存在」と説明する。松川村では現在100人の村民が保健補導員として活動している。全員がボランティアで、任期は2年、地区内での持ち回り制だ。

毎年2月、自分が暮らす地区の一軒一軒に足を運び、健康診断の申込書を配り、回収する。また年に数度、公民館などに栄養士や保健師を招き、生活習慣病や介護など地域が抱える様々な健康問題について研修会を開く。

「地区の人と顔を合わせて健診を勧める、というのが大きいんです」と白沢さんは続ける。「体調が悪そうなら保健師さんに報告ができるし、定期的に顔を合わせるので近所の人と人との繋がりが保たれる。早めに健診を受ければ病気を早期で発見できますから」。

個人情報の問題があり、健康診断の申込書を郵送にした途端、受診率が低下した自治体もあったという。

「保健補導員は30代から50代の女性が多いのですが、当初は家事や育児に忙しいせいか、億劫に感じる方もいます。でも、年に3回の会議に参加するうち、家族の健康を守るために大切な活動だとわかってくるようです。また長年続いた活動だからやるのが当たり前という意識もあるんです」

そもそも保健補導員制度の発祥の地が長野県である。県が昨年刊行した『信州保健医療総合計画 「健康長寿」世界一を目指して』に保健補導員制度が成立した経緯が説明されている。

<昭和10年代後半、結核、赤痢(り)等の伝染病で乳幼児の死亡が多く、戦争中の劣悪な衛生環境を経て、長野県の保健補導員等の活動は昭和20年に須坂市(旧高甫(たかほ)村)に生まれました。/当時、保健婦(師)が昼夜なく働く姿を見た地域の主婦達が、少しでもお手伝いしようと自主的に呼びかけ、活動を始めたのがきっかけです>

やがて活動は県全域に、そして日本全国に広がった。誕生から70年が経とうとしている。保健補導員は長野県の健康長寿を語るうえで欠かせない存在である。平林村長もこう語る。

「村は良くも悪くも住民同士の顔が見える。だから人間関係やコミュニティーが保たれて、村全体で健康を守ろうという意識が持てるのだと感じます」

松川村の長寿に一役買っているのが、住民同士の繋がりだった。