東京大学駒場キャンパスの倫理学研究室において、和辻哲郎は今も「和辻さん」「和辻先生」と呼ばれているという。明治22年に兵庫県の農村に生まれ、日本で唯一ともいえる体系的哲学書『倫理学』を世に送り出した和辻は、同研究室の原型をつくり上げた哲学者だ。そして没後50年を来年に控えなお、敬称で呼ばれる存在なのである。和辻哲郎の「孫弟子か曾孫弟子」に当たる同研究室の熊野純彦教授は、「なるべく言わないようにしているんですが」と笑った。「『先生』と呼んでしまうくらいに身体化されているんですね。和辻倫理学体系に匹敵する体系的な倫理学は、いまだ日本に登場していません。この国で倫理学について考える場合、批判するにしても継承するにしても、和辻を通り抜けないままでいることはできないのです」
西田幾多郎に代表される近代日本の哲学者は、ドイツ語の訳語を一つずつつくり上げながら哲学的な思考を展開していった。そのような日本近代哲学の黎明期において、和辻は「日本語で哲学すること」にこだわった稀有な人物だったという。ゆえに彼の思考には詩的な響きが内包され、『古寺巡礼』や『風土』など、その美しい文章は当時の多くの若者を引き付けた。
「和辻の入門書として適切なのは『風土』でしょう。我々の見つめる“自然”は生の自然ではなく、人間の営みが積み重なってできている。和辻の論考は、自然と人間の関係がしばしば問題になる今という時代にも参考になるはずです」
主著『倫理学』も難解ではあるが、「交通論や通信論、文化人類学の知見までを料理していく手際には、一般の読者も面白みを感じることができるはず」。それもまた、和辻が日本語を慎重に扱っているからだろう。
そんななか、本書で農村に育った和辻の生涯を紐解き、その詩的な感性の原点を明らかにしていく熊野教授は、ある一つの思いを抱き続けてきた。「今、僕にはこの国の哲学の文体を変える必要があるという思いがある。文体を変えるということは、思考のあり方を変えるということ。そうして変わっていく思考のなかで、今度は和辻倫理学に代わるような自分の倫理学を考えていきたいんです」
そのために日本の倫理学研究にいまだ大きな壁となって立ちはだかる和辻の姿を、どのように紹介すべきか。そして日本の哲学はどのように彼を乗り越えていくべきか。その一つの解答である本書は、彼にとっていわば“次世代の倫理学”へのスタートラインでもあるのだ。