ケインズは、経済活動の規模を決める主役は、「需要」のほうだと考えた。だが、ここでいう「需要」というのが、さきほどまで解説してきた「需要と供給のつりあい」という意味での「需要」とは、かなりニュアンスが違うので、そのことに注意するのが大切だ。それを明確にするために、ケインズのいう「需要」は改めて「有効需要」と呼ぶならわしになっている。

有効需要というのは、家計が消費のために実際に利用する財の総量と、企業が設備投資のために実際に利用する財の総量の合計のことである。ここに出てくる「材」とういことばは、経済学の専門用語で、製品やサービスを総称したものである。とりわけ、サービスのように「形のない商品」を含むことを覚えておいてほしい。

ポイントは、ここに「価格」という概念が入り込んでいないことだ。いわゆる「需要曲線と供給曲線の交点」というときには、「価格」が大事な役割を果たす。例えば、需要曲線というのは、「価格がこれこれのときは、これだけの財が購買されますよ」という関数を表現したものであり、消費者の価格変化に対応した購買予定行動のスケジュールを表したものである。しかし、ケインズのいう有効需要は、このような価格に反応した購買予定行動を描写するものではない、という点が重要なのである。

実際、ケインズは、供給曲線を使わずに財の需要量を決定しようとする。供給曲線との交点を使わないのだから、需要曲線上のどの点が需要量として選ばれるかを、別の仕組みで決めないとならない。

ケインズの考えでは、まず、企業の設備投資のための財の需要が決まる。それに呼応する形で、家計の消費のための財の需要も決まってしまう(なぜそう考えるかは、次回、詳しく説明する)。そして、この2つの和に等しくなるように、実際の生産量の規模が決定されてしまうのである。したがって、このように決定された実際の生産量は、労働者が提供したいと考えている労働量に応えられるものでないかもしれず、また、稼働できる機械や設備をフルに動かせる水準に満たないかもしれないのだ。こうして労働者の失業や機械・設備の遊休が出現する。つまり、「供給能力余り」が生じるのである。

これを読めば、誰だって、さきほどの「価格による需要と供給の調整」の話とのくい違いが気になることだろう。余っている労働力や機械・設備があるのに、どうしてその料金(賃金やレンタル料)が下がることで、それらが利用されることにならないのだろうか。