──大塚家具の原点、創業の精神とはどのようなものなのか。

私は桐箪笥の街として有名な埼玉県春日部市で生まれ、10歳ぐらいから箪笥職人をしていた父の仕事を手伝い、それこそ資材の調達から販売、資金調達、経理までなんでもやりました。父は名人と呼ばれる箪笥職人だったのですが、いくらいいものを作ってもそれだけでは適正な価格では売れない。職人の仕事をきちんとお客様にわかってもらうためには、よさをきちんとお客様に説明する対面販売が必要だと思ったのです。それが大塚家具の原点です。

いい家具を作っているのは価格競争力のある大手だけではない。多くは中小です。そして「いいものを安く提供する」というのはそう簡単なことではありません。いいものほど仕入れ価格は高いのですから。たくさん売ったからといって急に安くできるものでもない。実績を積んで初めて価格が下がるのです。それに場所と建物、商品と社員がついてこなければ商売としてはうまくいかない。どれ1つ欠けてもうまくはいきません。大塚家具が売らずに一体だれが匠の高度な技術を持つ中小の国内外家具メーカーを支えていくのでしょうか。今業績を落としてしまっていますが、そうしたことをしっかりとやっていくことが大塚家具の今後の成長につながっていくはずです。

──今後大塚家具をどのような会社にしたいのでしょうか。久美子社長にはどんなことを期待していますか。

私は価値のあるものを提供したいと思っています。安価なものであれば深い知識や経験のない社員でも対応と販売ができます。形は一緒ですから。しかしそんな家具をリユースなんてできますか。大塚家具はいいものを販売し、それを下取りして修理し、リユースする。数年で使い捨てるのではなく、長く使える家具。しかも所得の高い人もそうでない人もいい商品が使える。そんな時代がこれからやってくる。匠の職人が作った長く使える家具を提供することが社会のためになると考えているのです。そして社員たちが夢を持てる会社にしたい。だから将来は、会社を安心して任せることのできる人に社長をやってもらうのが一番いいと思っています。いずれはプロパーの社員にも社長をやってもらいたいと思っています。コーポレートガバナンスを強化するために社外取締役を増やすことも提案していますし、今後は経営と執行をわけるかもしれません。久美子社長には、社員の気持ちを考えると大塚家具の経営から身を引いてもらわなければならないと思いますが、娘であることには変わりありません。大塚家具の経営から身を引いても1人の親として応援していくつもりです。

(松崎隆司=構成 村上庄吾=撮影)
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