──久美子社長の経営者としての手腕についてはどう思っていますか。
もちろん久美子社長の経営手法に異論がないわけではありません。私は社長を交代するときには久美子社長がうまくやっていけるよう十分配慮しアドバイスもしてきたつもりです。ちょうど会員が200万人を突破したとき、会員を中心に営業ができるようにチラシを減らして新聞で広告を打つようにしたり、団塊の世代がリタイヤしてテレビを見る人が増えたためテレビ広告を積極的に打てるようにお膳立てしました。しかし久美子社長はそういう戦略的な広告をやめてしまった。1年目はリーマンショック後で円安から円高に変わりましたので「値下げして在庫を早めに処分したほうがいい。しっかり宣伝すれば売り上げは逆に伸びる」とアドバイスしたのですが、値下げだけして宣伝が不十分だったから売り上げが大幅に下落してしまった。
──14年7月に久美子社長が解任されていますがこれはどのような経緯なのでしょうか。
その前年に取締役会で「業績回復に向けた助言を全く聞いてくれないのなら、代表取締役会長として責任がとれない」と話をしたのです。その後、社外取締役などが、その機会をつくることを含めた提言書を初めて私に書いてきた。しかし、なかなか話を聞く時間がとれないため、経営会議を立ち上げてやれるようになり、進歩したのです。ところが14年の4月ごろから消費税導入後の駆け込み需要の反動などで受注が大きく悪化したにもかかわらず、久美子社長は販売管理費を抑えるために広告をやめたんです。これで足もとの受注件数は下がり、秋以降の売り上げが落ち込むのは目に見えている。強い危機感を持った幹部社員や役員から「何とかしてほしい」という声が上がり、どうしようもなくなって久美子社長に「せめていくつかの権限を渡してもらえないか」と相談したんです。久美子社長からは「それはできない」ということで、結局、社員たちの意思を汲むためにやむをえず社長をやめてもらうことになりました。