金目当てでも男は操られてしまう
この出来事にかかわったことが、黒川氏の作品に臨場感を与えている。ストーリーは、小夜子、柏木に絡む形で、被害者家族の相談に乗る弁護士、彼の依頼で小夜子の周辺を調査する元大阪府警刑事の探偵が登場して展開していく。この小説の面白さは、普通の人たちが何気なく暮らす日常の隙間に間違いなく存在する裏社会との接点を垣間見させてくれることだろう。しかも、それは決して他人事ではない。
黒川氏も「似たような事件はたくさんある。千佐子にしてもそうだが、80を過ぎた爺さんに50代、60代の女が積極的に近づいてきたら、それはもう金目当てしかない。それでも男は操られてしまう」と話す。そして公正証書遺言を作らされ、殺されたとしても、それが事件化することはきわめてまれだ。あるいは、女性が手を下さなくても、高齢で持病持ちの男性ならじっと待っていれば遠からず亡くなっていく。
おそらく、高齢化社会が進む日本にあって、この種の犯罪は間違いなく増えるだろう。この小説が世の男性たちへの警鐘になればそれにこしたことはない。だが怖いのは、この後妻業という言葉が市民権を得ることによって、その手口を摸倣する輩が現れることだ。しかも、捕まりにくいとなれば犯行へのハードルは下がる。その意味で、この小説は両刃の剣という気もする。