篤姫(あつひめ)
1836~83年。薩摩藩島津家の分家に生まれ、島津本家当主、斉彬の養女となる。22歳で徳川家に嫁ぎ、江戸幕府13代将軍家定の御台所となる。家定の死により落飾し、「天璋院」と名乗る。

今は世界経済が危機的状況にあり、働く人が圧迫されている経済乱世の時代です。厳しい状況にあっても、世の中の変化に合わせて自分を変えていく。ここで踏ん張ってみよう。そう覚悟を決めれば道は開かれる。乗り越えることで自信にもつながっていく。篤姫の生き方からはそんなメッセージが読み取れます。

そして迎えた幕府の終焉。実家である薩摩藩が倒幕の中心的役割を担ったわけですから、篤姫にとっては予想もしない衝撃であったと思います。しかし自分は徳川家に嫁いだ身なのだからと、命がけで徳川家の存続に力を尽くしました。

江戸城を出たあと、明治10(1877)年に千駄ヶ谷に徳川邸が建てられるまで、篤姫は住まいを転々とします。徳川邸に落ち着いてからは、徳川宗家16代を継いだ家達(いえさと)の養育にあたり、徳川の行く末を見届けて生涯を閉じました。

心を奮い立たせる三カ条
図を拡大
心を奮い立たせる三カ条

最後までゆるがない見事な生き方です。守るものがあるということが、ぶれない強さの源でしょうか。これは、愛情深く育ててくれた両親の存在や、養父斉彬の先進的な考え方などの影響をうけて培われたもので、生きるうえでの力だと思います。自分を信じて前に踏み出すことができたのも、その原点を忘れなかったからでしょう。

篤姫は19歳で江戸に上り、以来一度も薩摩に帰らなかったのですが、故郷の桜島を描いた掛け軸をいつも眺めていたと伝えられています。

自分を見失わなかったから、混乱した政局の中でどう生きるべきかを正しく判断できた。信念と覚悟があったからこそ、時代の激変にも対応していけたのではないでしょうか。

守るもの、大切なものは時代によって、そして人によって違います。私たちにとってそれは家族かもしれないし、仕事かもしれません。一つのことを成し遂げるには、その守るべきものに対する、強い意志を最後まで貫き通していくことが大事だということに、篤姫は気づかせてくれます。

維新後の篤姫は、縫い物を覚えて自分で縫った羽織を勝海舟にプレゼントしたといわれています。江戸城にいた頃は何もかも人にやってもらう身分だった人が、です。いつまでも過去にとらわれていたら、このような生き方はできなかったでしょう。

時代が明治に変わり、断髪令が出された翌々年に篤姫は髪を切っています。夫を亡くした武家の女性が髪をおろすといっても、せいぜい肩上で切る程度でした。残された篤姫の肖像写真を見ると、まるで男性のような短髪です。長い黒髪を断ち切って、新しい時代を生きようとする篤姫の強い決意が伝わってくるようです。

逆境にあっても、気持ちを切り替えて、新たな活路を切り拓いていく勇気。失うこと、変化することを恐れない柔軟さ。それがこの篤姫の潔い断髪に表れているのではないでしょうか。

(構成=石田順子)