今年9月から続く香港のデモがなぜ起きたか。中国大陸からの観光客を相手にしたビジネスに従事していなければ、当面は現地の日本人への影響はありませんが、まずは「一国二制度」の意味から読み解いてみましょう。
1989年6月の「天安門事件」以降、世界から3年余の経済制裁が続いていた中国。その渦中に全国人民代表大会(全人代)が、英国からの香港返還に備えた「香港基本法」を作ります。その中核が「一国二制度」でした。香港自らの主権で大陸の他省とは異なるシステムを選択しようというものです。
当時、最高指導者だった鄧小平(トウ・ショウヘイ)の戦略的視点は、すでに既定路線だった香港返還ではなく国家的悲願である台湾統一に向けられていました。共産主義アレルギーが強い台湾に「返還された香港の自由」を見せ、「統合後の少なくとも50年は、台湾の自由が何の変化もなく存続し続ける」というメッセージを“餌”として送ったのです。
その具体的な姿が、後にマカオでも登場する「特別行政区」。頂点に行政長官が置かれ、新疆ウィグル自治区や広西省チワン族自治区よりも高度な、「国防と外交を除けば何もかも自由」という水準の自治権が与えられた地区のことですが、要は、一国二制度の本質は、香港に自由を与えることではなく、台湾統一の悲願を平和裏に実現するための道具であること。まず、そこを念頭に置く必要があります。
では、その香港でいったい何が揺らいでいるのか。それを理解するには、表向きの経緯と、それとは異なる本質的な背景という両方の観点が必要です。
表向きの経緯は報道でも伝えられています。梁振英行政長官の任期は3年後の2017年。普通選挙で選ぶことが決まっていますから、焦点は「どのように選ぶか」です。民主派でデモをやっている人たちが要求したのは「香港市民の1%超の人々の推挙があれば、どのような政治的立場であったとしても立候補できる」というものでした。