改革案は、部下に書かせた。ただ、どう書けとは言わず、趣旨だけ話して自分で考えさせる。誰でも「過去」に引きずられる。とくに、成功体験は否定しにくい。土曜日の会議まで3週間、「過去を否定して考えろ」「ゼロベースから始めろ」と繰り返す。40代前半で出会った海外調達の研修生たちが、各拠点の部長級になった。だから、世界中で適地生産やコスト抑制を進めるための「最適の調達」には、自信がある。

「六馬不和、造父不能以致遠」(六馬和せざれば、造父も以て遠きを致す能わず)――馬車を引く六頭が足並みを揃えなければ、名御者とされた造父でも、これを駆って遠くまでいくことはできない、との意味だ。中国・前漢の韓嬰(かんえい)が孔子の『詩経』にちなむ故事などをまとめた『韓詩外傳』にある言葉で、何事も全員の意を合わせて取り組むことの大切さを説く。部下たちみんなと、理解や意識が一つになったうえで仕事を進める田中流は、この教えと重なる。

1950年12月、神戸市で生まれる。姉が1人の4人家族。父は地方公務員で、土日も仕事に出ていた。遊んでもらった記憶もないが、「ああしろ、こうしろ」と言われたこともない。遊んでやれないので、たまに一緒のときには怒らないようにしてくれたような気がする。部下たちに「こうしたらどうか」とは教えず、自分で考えた答えを持ってくるのを待つ手法は、父親譲りかもしれない。

県立兵庫高校時代にギターを始め、友人と3人でフォークソンググループを結成。ラジオ番組に出て、神戸商科大学(現・兵庫県立大学)商経学部に進んだ後もプロになることを目指し、大阪でオーディションを受けた。だが、落選し、断念する。大学では4年間、少林寺拳法も続けた。

73年4月、東芝に入社。関西とくに神戸が大好きで、東芝でも関西勤務ができるだろう、と思っていた。でも、新人研修後の8月に配属されたのは本社の資材部。営業を志望していたが、予想もしなかった調達の仕事。ところが、フィリピン勤務までの23年間、資材部門にいたからこそ、生産や技術をはじめ全社の部門、さらには取引先ともつながって、事業や製品の内容や戦略を自然に知ることができた。最初の仕事が欧米からの医療機器向け部品の輸入だった縁で、希望していた海外勤務にもつながった。振り返れば、幸運だった、と思う。