230年前に黒田家の藩校として開校した「修猷館」。この九州随一の名門校には、学問を奨励した黒田官兵衛の思いが詰まっている。福岡で生まれ育った芥川賞作家が感じた修猷館の伝統と歴史とは。
修猷館高校の主な卒業生

博多湾に面した百道(ももち)浜は元寇の役で防塁が築かれたという歴史ある場所で、私が通った西南学院中学はそのすぐそばにあった。生徒たちは放課後ともなると、ベージュ色に輝く美しい砂浜にくりだし遊んだものだ。しかし今では、砂浜はアスファルトの下に沈み、海に遠くせりだした埋立地には、ホテルやドーム球場、マンションだらけの人工的で無機質な場所になってしまった。

私立だった私の中学には市内各地から生徒が集まっていた。だから進学する高校も別々だった。多くはエスカレーター式に西南学院高校に進んだが、グループを組んで遊んでいた同級生の渡辺君は県立筑紫丘高校(筑高)に、中村君は遠くの久留米大学附設高校に、そしてもっとも仲がよかった宮地君は県立修猷館高校(修猷)に進んだ。私は福岡市の東側、博多区にあり修猷のライバル校といわれた県立福岡高校(福高)に入った。