ビジネスに置き換えると、たとえば競合他社と激しいシェア争いをしているときなど、あの手この手を繰り出しても、なかなか効果が上がらないことが往々にしてある。
しかし、拮抗した状態で、策略に労力を使いすぎて自社の戦力が低下すれば、チャンスがきても攻めようがない。策略を用いるときは、十分な余力が必要だと孫武は言っているのだ。
一方の『戦争論』は、逆に策略に頼るのはよくないとしている。19世紀初頭のプロセインの軍人、カール・フォン・クラウゼヴィッツの著作である同書は、多数のライバルを想定した『孫子』とは異なり、1対1のパワーゲームの対処法を主眼に置いている。
一発勝負の勝敗が国の存亡に直結した孫武の時代とは違い、クラウゼヴィッツの時代の欧州では、戦争で負けても外交で挽回できた。さらに継続的に同じ相手と交戦する機会が多かったので、同書は1回の戦争にどう勝利するかに主眼を置いている。
クラウゼヴィッツが奇策に頼るのを戒める理由は、同じ相手と何度も戦う場合、奇策が使えるのは一度きり。同じ手を二度は使えないからだ。しかも、策略はリスクを伴う。確実性の低い策略に労を費やすよりも正攻法で勝つ方法を考えるほうが有効だと説いている。これはクラウゼヴィッツが何度も苦杯をなめたフランスの英雄ナポレオンも「手の内がわかってしまうので、同じ敵とは何度も戦いたくない」と言っているのと重なる。
しかし、『戦争論』は策略をまったく否定しているわけではない。「万策尽きた場合」、つまり、脆弱な自軍を守るためか、起死回生の賭けに打って出る際の1回限りだとしている。