その始まりは奥田社長の「安請け合い」?!
もともと2002年、世界に先駆けて日本の道を燃料電池車が走り始めたきっかけは、時の総理大臣だった小泉純一郎氏が盟友にして当時、トヨタ自動車社長であった奥田碩氏に「日本の成長戦略の象徴になるようなネタが自動車業界にないのか」と持ちかけ、奥田氏が「燃料電池車ならすぐにでもできる」と返したことだった。この“安請け合い”をきっかけに政府から燃料電池車プロジェクトを持ちかけられた自動車メーカー各社の燃料電池のエンジニアは、まだ生煮えだった燃料電池車を懸命に改良し、何とか公道を走れる状態に仕立てた。それでも水素補給から運用に至るまでエンジニアは燃料電池車につきっきりの状態だった。
実はこの時期、産官学で水素エネルギー利用に関するさまざまな実証実験が行われたのだが、そこであらためて浮き彫りになったのは、水素を燃料として利用するのがいかに高コストで、車を走らせるのに不適当かということだった。水素はたしかに石油やガス、バイオエタノール、電気分解、製鉄所や製油所からの大量の副生水素など、いろいろなところから得られるエネルギー。とくに副生水素は商用化した場合、価格も安価ですむとみられていた。
各地にさまざまな水素ステーションが建設され、ステーション内でガスや石油を改質して水素を作り出すオンサイトと呼ばれる方式、あらかじめ作られた水素を液体水素や圧縮水素の形で輸送するオフサイト方式など、多角的に技術が検証された。
結果は惨憺たるものだった。もっとも安かったのは、副生水素から不純物を除いて燃料電池に使用可能にしたものを圧縮水素としてローリーで運ぶオフサイト方式であったが、それでも水素の末端コストは同じ熱量のガソリンと比べ物にならないほど高くなってしまったのだ。