ラモス瑠偉(JリーグFC岐阜監督)
相変わらずの熱いプレー、魅せるプレーである。5月31日の国立競技場。56年の歴史に幕を閉じる『SAYONARA国立競技場』イベントのサッカーのレジェンドマッチ。かつて日本代表で活躍したラモス瑠偉が再び、国立のスタンドを沸かせた。
とても57歳とは思えない元気ぶりだった。からだから覇気がみなぎる。どうして?と聞けば、ラモスは人懐っこい笑顔を浮かべた。
「だって、ここは特別なんだ。違うエネルギーを感じる。ここは神聖な場所。ほんとうにサッカーの神様がいるんだ」
曲芸のごとく、サッカーボールを扱ったり、ピエロのごとく、コーナーキックではフラッグにけつまずくマネをしたり。国立最後のプレーをファンと一緒に堪能した。
「楽しかった。国立の歴史をつくってきた先輩や仲間たちと同じピッチに立てて、うれしいですよ。でも、ここにもう、二度と立てないと思うと、寂しいです」
ラモスにとっても、国立競技場は思い出深いスタジアムである。ブラジルのリオデジャネイロ生まれ。ハタチの時に来日し、日本サッカーリーグ時代の読売クラブ(のちのヴェルディ川崎―現・東京ヴェルディ1969)に入団した。
国立では、憧れていた釜本邦茂(当時ヤンマー)と対戦し、天皇杯で優勝もした。1993年、Jリーグ開幕戦で横浜マリノスとも戦ったし、日本代表ではキリンカップで優勝した。99年の引退試合も、ここだった。
「思い出はたくさんある。ほとんど、ここ(国立)では負けていない。すごいタイトルもとった。このスタジアムを愛しています」
ふと悲しそうな表情をつくった。
「なんでも新しくなっていく。でも、いいものは残してほしい。国立が新しくなっても、この神様を連れていかないと……。サッカーの神様を残さないとダメでしょ」
いよいよサッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会が始まる。ラモスは日本人と結婚し、日本国籍を取得した。日本代表で活躍したが、93年のW杯アジア最終予選では、あの『ドーハの悲劇』を経験し、W杯出場は成らなかった。
それだけに、ラモスはW杯にかける思いが強い。日本代表にエールを送る。「自信を持って、ベスト8じゃなく、ベスト4を狙ってほしい」と言うのだ。
「日本は結構、強い。簡単に負けるチームじゃない。もっと、みんなが自信をもってほしい。アウエーというか、他の国でのワールドカップでベスト4になったら、とんでもないことですよ。優勝みたいなものです」
ブラジルには親日派が多い。日系ブラジル人は百数十万人にのぼるといわれる。
「ブラジルの人が二番目に応援するのは日本だと思う。サポーターの力を借りて、日本代表に暴れてほしい」
いつまでたってもメディアの輪が解かれない。「もう、帰してくれよ」とラモスは冗談っぽく声を荒げた。
「酒を飲みたいんだ」
爆笑の渦。サッカーの神様に愛されたラモスはユーモア精神を忘れない。現役を退いてもなお、メディアの人気者である。